≪試着室≫の危険と魅惑

〜幻想と鏡の共犯関係をめぐって〜

800045  江湖春香

指導教官:葉柳 和則助教授

 本論文の目的は、そこら中にいる「おしゃれな人々」の発言や行動に対して普段感じていた矛盾を、ファッションと鏡というキーワードを用いて検証することにある。

 第一章ではまず、ファッションの歴史を見ていく。古くから私たちは「まなざし」を考慮して、衣服を含めた「見られる身体」を歪形してきた。衣服を纏う身体はスタイルを生み、そこからあらゆる意味が発信され「まなざし」から意味が吹き込まれもする。スタイルは、意味生成の装置である。私たちはその効果を充分に考慮したうえで衣服を纏い、街に出る。効果的な意味生成を期待もする。しかし、いくら意味生成が可能な衣服と言えども、否定的な意味が吹き込まれる可能性も無視できない。それを敏感に察知した例が、ファッション雑誌に見る「街角スナップ」のコメントに見られる。それらを検証していくと、通常認知されているような「装い」の「補佐」以上の役割を担っていることが分かる。コメントは、衣服のスタイルが生み出す意味生成を、更に攪乱していく役目を果たす。私たちはファッションを身に纏いながら、この攪乱の中で戯れる。

 第二章では、鏡を取り扱う。日常品でありながら特権的な地位をもつ点、そして、私たちにとって魅惑であり、同時に危険性を有する点、この二つにおいてファッションと鏡は類似している。第一章で見たように、私たちは表層を整え、言葉を用意して街に出る。実際の様子を見ていくため、ある女の子に実験を試みた。普段からファッションに大きな関心を持つ彼女に、自分が映るもの(鏡、車の窓ガラスなど)に対して注意を払ってみて、とだけ言っておき、翌日インタビューを試みた。そこから明らかになったことは、私たちは確固たる「確認」が不可能であるのを知っていながら、一瞬一瞬でも「鏡の中の私」を見てしまう性質がある、ということだ。それは、「見ないことの不可能性」と言っても良い。私たちは「鏡の中の私」=「イマージュとしての私」を「見ることをやめることができない」のだ。私たちは、一瞬一瞬、自分が心に描いたイマージュを確認している。しかし、実際に鏡と向き合う場合、私たちは「対象=鏡の中のわたし」に「他者のまなざし」の可能性をも託している。これが鏡の魔術である。

 第三章では、先に述べたファッションと鏡が濃密な形で出会う場所として試着室を取り扱った。更に、それらが織り成す現象に拍車をかける存在「店員」を取り上げた。店員の言葉は、私たちを、ファッションの戯れや鏡の魔術への呪縛を維持する。それが彼女達の「営業」にも繋がるからだ。そして私たちは「試着室」で「確認」した服を現実で纏うことになる。ファッションの幻想、鏡のイマージュ、店員の言葉、それら全てを身体に纏い、私たちは世界で暮らしている。

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