メディア・リテラシー実践が主体に与える影響

河野義行氏の活動の変遷をめぐって

899157 宮崎 弘子

指導教官:葉柳 和則助教授

 1994年6月28日の夜に発生し、多数の死傷者を出した松本サリン事件において、当初、第一通報者であり被害者でもある河野義行氏に疑いがかけられた。事件では、警察の見込み捜査によるリークを、真偽を確かめずそのまま報じ、誇張したメディアによって、河野氏が殺人犯とされ、その報道を真に受けたオーディエンスによって、同氏は社会的な制裁を受けることになった。事件がオウム真理教信者によるものとされた後も、河野氏は、冤罪と報道被害の根絶と、人権擁護を訴える活動を続けている。その過程において、私は河野氏の言動が、次第に変遷していくことに着目した。河野氏のメディアに対するアプローチが、犯罪報道問題に詳しく、人権擁護への取り組みを訴える、元共同通信社の記者で大学教授である浅野健一氏の主張と重なっていくことから、その変遷は見て取れる。
 そこで本論文では、河野氏が徐々に浅野氏の枠組みでメディアを読み解くようになり、浅野氏の主張を取り入れるようになったと仮定し、河野氏が著した諸本から、その証拠となる文言を探し、検証している。その際、河野氏の活動が、メディア・リテラシーの原理である「受け手から読み手、そして発し手へ」に沿っていると捉え、同氏がメディア・リテラシー実践を行っていると位置づけた。
 まず、世界におけるメディア・リテラシーの研究から、その実践には様々な解釈があるという理論を導き出し、浅野氏の主張という外的要因によって、河野氏という主体にどのような影響が及ぼされるのかについて考察している。
 松本サリン事件当初にメディア・リテラシーが普及していたならば、あのように河野氏が社会的制裁を受けることも無かったのではないだろうか。河野氏の事例は、メディア(もちろん警察も)とオーディエンスの演じた大失態と言える。つまり、河野氏という存在はその教訓として、メディア・リテラシー普及に効果的な役割を果たすのである。メディアやオーディエンスが同じ轍を踏まないためには、メディア・リテラシーを教育制度等の公共的プログラムに組み込むことも望まれるが、まずは、メディア・リテラシーへの理解を深めることを急ぐべきである。なぜならば、メディア・リテラシーはオーディエンスの能動的な活動無しには成立し得ないからである。

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