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☆研究日誌☆

こんなものは本来公開すべきではないのかもしれない。
しかし、不勉強の実態をあえて世間に晒すことで自らを「他律」すれば、
少しは研究も進展するのではないか、と考えた。



2003年3月の日記


僕はそんなことを言いたいんじゃない,
『無神論と疎外』 第3章-第6章

ある思想家自身の「意図と明確な信念」と「彼の努力の実際の結果」との間にある乖離。これはこの書が見据えようとしているものである。つまり、意図としては神の無限性を論証しているのだが、結果としては無神論を理論的に準備することになってしまうという哲学的営為の意図せざる効果。しかし、考えてみれば、これってあらゆる思想の運命である。意図して書くという行為とそのようにして書かれたものの間にある避けがたいズレ。これを「意図して」制御することなどだれにもできないのだ。
2003年3月3日(月) No.25

読んどいてよかった
『無神論と疎外』 第7章 「実存主義と偶像の拒否」
 キルケゴールからニーチェを経て、サルトル、メルロ=ポンティ、カミュまでを十把一絡げに「実存主義者」のカテゴリーに入れるというのは、内田樹と藤岡信勝(だったけ)と西尾幹二を「ネオナショナリスト」と一括するのと同じくらい乱暴だとは思うが、まあ、キルケゴールは例外で、後は皆無神論者というのはまあたしかにそうだろう。
 だが、フリッシュがよく使う、「偶像」、「選択」、「偶然」といった語彙が、広義の「実存主義」のキーワードだということは理解できた。こういう思想史的な常識というのはきちんち押さえておかないと後で恥ずかしい思いをすることになる。
 初心者にとって概論書というのは退屈なものだが、ある程度、論文を書き進んだ者にとっては実に役立つ羅針盤だ。
 このカトリック神学者の書いた概論書の中に登場する無神論者の中で、おもしろそうだと思ったのは、デカルトとメルロ=ポンティとカミュ。全部フランス系だ。
 年齢的にもフランス語に本格的に取り組むとしたら今年が最後のチャンスだろうな。
2003年3月4日(火) No.26

どうしてそれじゃいけないんだ?
 「人間とは、存在の暗やみと不透明の中の光という、まったく不可解な要素であり、自由・愛・意味・正義という神秘的な原理であり、また身体を通して危険と不条理、偶然性と両義性の世界に繋がれた存在である」(Masterson [1971=1980:213])。「生きることとと死ぬことを学び、人間であるために、神となるのを拒絶する」(Camus [1951=1973:277])。

どうしてこれが、現代無神論のたどり着いた「陰鬱」な結末(Masterson [1971=1980:214])なのだろう?

「世界の中にも歴史の中にも、人間の目論見の絶対的乃至究極的な擁護を見出すことができない」(Masterson [1971=1980:215])というのはそんなに不安をかき立てることなのだろうか?

それどころか、「自由・愛・意味・正義という神秘的な原理」すら失っても、偶然的で理解不可能な環境の内部に投げ出されても、それは即、「悲劇的」だとは言えないのではなかろうか?

もちろん、そうした「投げ出された」状態から逃れようとして人間はカミを肯定してきた。しかしそれは、<仮構してきた>と訂正するより他ない。

(英語の原語がわからないが)「実存的帰依」(Masterson [1971=1980:242])などという論理のアクロバットをしなくても、偶然的で意味を持たぬ生を(肯定しないまでも)受け入れて生きることはできるはずである。不条理のただ中にあって、「存在することは光の中にあることだ」(Frisch [1957:199])と言い切ることは可能なのである。

とはいえ、それではやだ、という人が「様々なる意匠=衣装」の神学的構造をもった物語を生きようとしているし、他人もそこに巻き込んで、帰依の共同体を作ろうとしているというのはわかる。しかしそれは症例としてしかありえない。症状の由来を探るというフロイト的作業を放棄しては、それこそ「歴史の終焉」にしか至らないだろう。
2003年3月5日(水) No.27

事実はどこに
森明子(編):『歴史叙述の現在 歴史学と人類学の対話』、人文書院、2002年、p.7-202.

昨日、中国語には「出来事」にきちんと対応する言葉がない(「事件」とか「事実」ならあるそうだ)、という話を連先生から聞いたところだったので、それぞれの筆者が「出来事」をどのように捉えているのかに着目しながら読んだ。全ての筆者に欠けているのは、フロイト的な虚構論だ。現在との関係でしか過去は表象されえないという前提は共有しているのだから、理論装置に虚構論を精緻に組み込まないと、異分野の「対話」は生じ得ない。
2003年3月6日(木) No.28

「君の言うことは正しい。しかし…」
 岡真理:『彼女の「正しい」名前とは何か』、青土社、2000年、p.7-164.
 「出来事と語り」を問題にする以上、岡真理の仕事を避けて通ることはできない。彼女に関しては、『記憶/物語』(岩波書店、2000年)と『現代思想』に掲載された論文を一本読んだことがあるだけだ。そのときの読後感とその由来が解き明かされていく「快感」については、「文化表象論」や「文化構造論」で話したことがある。とはいえ、その「解明」のかなりの部分は、後に『ためらいの倫理学 戦争・性・物語』に収録された内田さんのWEB日記に負っていた。私は内田さんの「形式分析」の「追試」をしただけである。
 しかし、シンポジウムで報告するとなると、この程度では岡に対してフェアではないかもしれない(内田さんは違う意見だ)ので、現時点での彼女の主著と言える、『「正しい」名前』をひもといてみた。
 まだ半分しか読んでいないので、「総括」はしないが、彼女が「第三世界フェミニズム」の気鋭だと評されているのは決して的はずれではないことはビシビシと伝わってくる。思考の地平が明瞭でありかつ目配りもきいている。(以下、ネガティヴな点を指摘するので、アンフェアにならないようにあらかじめ書いておけば)この本を読んで私の思考の問題点が何であるのか実によく分かった。その意味で私はこの本に感謝している。
 ただ、どうも気になることがある。それは、他の研究者の「クリシェ」を徹底的に批判している割に、彼女自身の思考の明晰さが「ポストコロニアル批評」の定型の中での明晰さになりかかっているのではないかと危惧される瞬間が何度もあることである。さらに言えば、他人の言説における、「内容」と「形式」とのズレ、とりわけ「形式」に見いだされる「植民地主義」を問題にしておきながら、自分では「『西洋フェミニスト』の言説をゆうに粉砕する強度」(107)とか、「真に祝福すべき作品」(85)とか、「その(アラブ人姉妹)の批判の真意を永久に捉え損ない続ける私たちの『フェミニズム』の無限の自己肯定」(159)といった、<危うい>言説のスタイルをとってしまいがちなのも気になる。
 「…は正論である。しかし、…」(84)という文体によって、「内容」と「形式」のズレを指摘するという論法を彼女はしきりに使う。この論法による批判が、そのまま彼女の言説にも当てはまるのではないかとさえ思えてくるのである。
 まあ、とりあえず最後まで読んでから、結論を書くことにしよう。
 現時点での思いつきを忘れないようにメモしておけば、「彼女の「正しい」名前とは何か」という反語的疑問文(たぶん)と、「我が名をガンテンバインとしよう」という接続法一式との間のズレこそが、ある意味で似たような領域で立てられた彼女と私の物語論を分かつ深い亀裂なのではなかろうか。
2003年3月12日(水) No.29

「ほころび」探し
『彼女の「正しい」名前とは何か』p.164-317.
Vertreter(in)(代理人、代表者、セールスマン/レディ)になろうとする「欲望」と、「分有」の思想を「分有」しようという「意志」。彼女のテクストを読むときの賛嘆と違和感は、テクストの「ほころび」が妙にささくれだっているところから来る。
2003年3月13日(木) No.30

「開かれ」としての「ほころび」
 『歴史叙述の現在 歴史学と人類学の対話』、p.203-309.
歴史学が文学研究をステレオタイプ化しているのと同じように、文学研究もまた歴史学を「クリシェ」の中で捉えている。二つの分野の間だけではない。人文・社会科学の領域ではこうしたことはある意味で「常態」である。二つの分野それぞれの成果が、実体的and/or関係的同一性を持っているにもかかわらず、とはつまり、相乗的な関係性を持ちうるにもかかわらず、互いを「宛先」とすることなく研究文献というテクストが生産され続けるという「常態」。テクストの「ほころび」というアイデアを手がかりに、こうした「常態」の「異常」性を明るみに出し、「ほころび」を「開かれ」へと織りなおしてゆこうという試みとしてこの本はある。
 にしても、寄稿している文学テクスト研究者が富山太佳夫だけで、しかもこの論文が全論文の中で一番、力がこもっていないというのでは、「虚構性」へのまなざしが弱くなるのも当然か。
2003年3月13日(木) No.31

そうだったのかヴィトゲンシュタイン!
 宮本久雄・岡部雄三(編):『「語りえぬもの」からの問いかけ 東大駒場<哲学・宗教・芸術>連続講義』、講談社、2002年、の中の、野矢茂樹:「『論理哲学論考』と「人生の無意味さ」について」、p.16-34、高橋哲哉:「歴史の物語論と「物語りえぬもの」、p.52-71.

野矢の方は、例の「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」というテーゼを取り上げていたから、ついでに読んでみただけだったのだが、この講義録を読んで初めて、『論考』という書物が何を問題にしていたのかすっきりと分かった。それは「可能な思考の世界」を有限個のパーツから作り上げることだったのだ。それだったら、フリッシュの「順列の演戯」との関係的同一性を問題にできるではないか。

学生時代、大修館版全集の『論考』の訳者、奥雅博先生の講義を取りながら、ようするに『論考』がどういう本なのか全然把握できなかったし、Spiel=game論について考えていたときも「言語ゲーム」に言及した文献を何度も読んだにもかかわらず、この本の基本的考想がよく分からなかったのだが嘘のようだ。

無論、これは野矢の解釈に過ぎないのかもしれない。野矢は「読書案内」の項で、「分からないなりに読み通すと、分からないなりに魅せられてしまい、ひとによっては人生の一大事とも言うべき影響を(分からないなりに)受ける」と述べている。そうか、私はいつも『論考』を分からないからといって途中で投げ出していたのがいけなかったのだ。

にしても、これだけの講義を一年生向けのオムニバス授業で提供できる東大の底力はあなどれない。というは、一年生向けの講義録を読んで感動している私が二流なだけなのだが・・・

高橋のはこれまでの彼の議論のダイジェスト版だった。
2003年3月16日(日) No.32

高橋再読
 高橋哲哉:『歴史/修正主義』、岩波書店、2001年。再読。

以前、「文化構造論」の講義で取り上げたことがあるのだが、高橋の野家啓一批判を丹念にたどるために再読した。
 確かに、野家啓一の『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』の中には、哲学者らしからぬおおざっぱな議論や、歴史を問題にしているのに「あなたの歴史認識はどうなってるのか?!」と叫びたくなる箇所がある。それは認める。しかし、高橋の野家批判のやり方の中にもフェアじゃないところはいくつかある。「ちょっとでも悪いところがあれば不合格」という一元的な判断では、複数の読み筋をもつテクストから学ぶべきところを学んだり、そのありうる姿を確かめることはできない。
 ここで見習うべきなのは、「「宿敵」フェミニズムとの終わりなき戦い」をキャッチフレーズにしながら、実は、フェミニズム思想の「ありうる姿」を「書く」という行為の問題系の中に救い出している、内田樹:『女は何を欲望するか?』、径書房、2002年の方法である。
2003年3月16日(日) No.33

流れに逆らって野家を読む
 野家啓一:『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』、岩波書店、1996年、p.1-90. 再読。

 高橋や岡に対してもフェアであるという課題を自らに課しつつ、『物語の哲学』を「流れに逆らって読む」。すると確かに、「これはちょっと・・・」という問題箇所が浮かび上がってくる。以前、二度にわたって通読したときには気がつかなかった箇所や、疑問は持ったがそれ以上考えなかった箇所だ。非常に意地悪く読む人なら、野家を「自由主義史観の隠れイデオローグ」だとみなしてしまうだろう記述すら散見される。
 しかしそれでも、全体としては相変わらず面白い。単なる印象で言えば、山口昌男の『文化と両義性』が、数多くの批判とか意地悪な読みにさらされながらも、長きにわたってその輝きを失わなかったのに似ている。
 『ため倫』的まなざしで読んだら、この本はどんな貌を見せてくれるのだろう。
2003年3月16日(日) No.34

やってみてよかった
 『物語の哲学』P.91-215.残りは第5章のみ。

高橋哲哉の眼差しで読もうとするうちに、この本の問題点がだんだんクリアーになってきた。高橋が問題にしている箇所だけではなく、虚構論としての問題点も同時にわかった。

現時点で予想しておけば、やはり、フロイトの言うトラウマ的記憶の問題をどう取り扱うかが、野家歴史哲学が論争の中で生き残れるかどうかの分かれ目となろう。
2003年3月17日(月) No.35

今日はもう無理
何もなし
2003年3月18日(火) No.36

まあぼちぼち
 『物語の哲学』第五章、p.217-244.

章によって「物語」の定義がかなり違っているのが気になる。

湯浅博雄:『反復論序説』、未来社、1996、「<反復>をめぐる諸問題の考察に向けて ―フロイト・ラカン・プルースト」、p.55-111.再読

 現在を中心にして線形的に流れる時間とは別の時間の中での<経験>、つまりトラウマ的経験についてのフロイトの議論を湯浅がどう読んでいたのかを確認するために読む。初出は「イマーゴ」1994年7月号。初出のコピーを最初に読んだのは1996年頃だった。あれから8年経つ。あの頃に較べると理解できない箇所がずっと少なくなった。
 この本は、「人はなぜ虚構テクストを書き、読むのか」という問題を「経験」や「記憶」と結びつけて考えるための基本書だと思う。
 ただ今回読んでみて、フロイトが外傷的経験について述べた議論を、プルーストの「幸福感」やニーチェの「身震いするほどの至福感(Euphorie)」と直結させているのはなぜなのか疑問に思った。そこにはもうワンクッションいるような気がする。
 あと、フロイトに対する読みに関しては、石澤誠一ほど精密ではない。石澤はこの本についてどのような評価をしているのだろう?
 あるいは内田さん。内田さんは3月7日の日記にこんなことを書いていた。

 ほとんどの仏文学者は「フランス文学」や「フランス思想」はたいへんにハイブラウなものであるから、「無学なものは敬して近づかないように」という排他的な視線をこの30年間あたりに投げかけ続けてきた。
 彼らにとって批評の基準は「業界内的」なものに限定されており、彼らがその動向に配慮すべき「マーケット」には「大学教員ポストの配分にかかわる人々」しか含まれていなかった。
 そういうふうにして、私たちの業界は、研究業績を「業界内部的な価値観」に基づいて判定されること以外には何も関心もない研究者を30年にわたって育成してきたのである。
 彼らは「業界外部」というものが存在するということを考えたこともない。
 だから、いずれ「業界外部」から、「そんな業界が存在するなんて、知らなかった」という告知がつきつけられることになる可能性についても考えたことがなかったのである。
 どのような業界であれ、「新人」たちは「ウッドビー業界人」たる「業界外」の少年少女の中からリクルートされる。だから、参入してくる新人の質を上げようと思ったら、少年少女たちに「いつか仏文学者になりたい!」と思わせるような「外向きの」パフォーマンスを業界人はつねに心がけなければならないのである。


この本を読んで、「ああかっこいい! いつかはバタイユやプルーストをフランス語で読んでみたい!」と心から思ってしまうのは、私が(ヨーロッパ文化研究という)「業界内部」の人だからなのだろうか? ゼミ生たちが読んだらどんな感想を抱くのだろう? 正義の人たちは? そして内田さんは?
2003年3月20日(木) No.37

Kein Fortschritt
何もなし
2003年3月25日(火) No.38

Schon wieder
またしても何もなし。あえて言えば、高橋哲哉:『記憶のエチカ』の前書きを読んだ。といっても2ページだが・・・
2003年3月26日(水) No.39

Papierkrieg
 Papierkriegすなわち「紙の戦争」に勝ち残った者だけが生き残れる世界、それが研究の世界だ。無論、Papierには「論文」という意味もある。そしていい論文を書かねば生き残れないのは当然だ。しかしここでのPapierとはお役所的な書類のことであり、いかなる方法を使ってもいいからこの書類書きをできるだけ短時間にかつ整然とこなした者だけが、研究時間を確保できるという意味である。要するにもっと要領よく書類を片づけないとダメだということを自らに言いたいのである。
2003年3月27日(木) No.40

お願い、その先を書いてください!
増田聡:『音階論とポピュラー音楽研究 ?小泉文夫による歌謡曲論の理論的前提?』、『鳴門教育大学研究紀要』、第18巻、2003年、p.13-21.

野崎次郎:『『敗戦後論』とポストモダニズム』、『立命館言語文化研究』、第11巻第4号、2000年、 p.57-71.

 たまたまほとんど同時期に増田さんとジロー先生に紀要論文を送ってもらい、飛行機と地下鉄の中で読んだ。

 増田さんの論文は実に明晰である。音楽学の知識が私には全く欠けているので使われている用語のいくつかは意味がよく分からないのだが、それでも筆者が言わんとするところは実にクリアーである。基本的な論の流れは、<『歌謡曲の構造』で知られる小泉文夫>を批判的に乗り越えようとした<『J-POP進化論』の佐藤良明>が当の小泉と「同型の」陥穽にはまってしまっているという問題を、佐藤の「説明」に対する「聴取者」の側での違和感をスプリングボードにして解明するというものである。
つまり、自らの経験できぬ「音感覚の古層」に依拠することを否認し、音楽理論を自らの耳の経験によって検証する倫理を示すことによって小泉の主張へのオルタナティヴを提示したはずの佐藤は、あえなくも自らが無批判に「理論的聴取」に優先権を与えていたことに裏切られたのだ。(増田:[2003:16])

つまり、音楽学的な方法によって分節化され析出された「歌謡曲の構造」は、「現実の音楽の生産・受容構造の中では[……]抽象的な概念枠でしかなく、聴取者はそれらをしばしば「聴いていない」のである」(増田:[2003:17])。
 環境科学部という今の職場に採用されて、「芸術環境」というものについて考えてきたことはこの問題と密接に関わっている。(というか、考え、かつそのことをあらゆる機会に表明しておかないと、「ゴミ」とか「温暖化」とか「干拓」といった狭義のUmweltproblemeだけが「環境科学」の対象だと学生たちだけではなく、教官までもが何の学問的な検討も為さないままに信じ込んでしまうという、およそreflektivではない「環境」の中に身を置いてしまった「文系左派」としてはそうするより他なかったのだ)。つまり、一流の文学テクストだと広く認められている対象にたいして文芸学の理論と技法でアプローチするというやりかたでは、「環境としての芸術」を扱うことはできない、しかし、芸術の圧倒的大多数は「環境」として消費されているということである。「音楽テクストの深層に隠された『高度な理論性』を呈示するという規範的な言説編成」では、「鳴り響く音楽(=「大衆」が耳にしたであろうもの」を聞き過ごしてしまうのだ(増田:[2003:18])。ここで「音楽」を「アート」に変えようが、「文学」に変えようが、事態は基本的には同じである。どのように聴かれ、観られ、読まれて(より正確には「消費されて」)いるのかが問題なのだ。それも、質の問題としてだけではなく、量の問題として。
 ここで増田さんに訊きたいのは、「ではどんな方法が考えられるのか?」ということである。増田さんは先の「規範的言説編成」を「『人々の聴いていない音楽』」を仮構し、かつそれを実体化する「罠」だと言い、「ポピュラー音楽研究」の課題は「表層にありながら言及されることのない、その罠を指し示す作業である」(増田:[2003:18])と論を締め括っている。そのこと自体に異論はない。ただ、「環境科学者」として私が知りたいのは、増田さんがそこから先をどのように構想しているのかということである。たとえば、「『ニュースステーション』のキャスターたちが持った[佐藤の音階論的説明に対する]疑問」(増田:[2003:17])を方法的に取り出してゆくといったことは可能なのか否か、とか。
 これが難しいから、みんな「クラシック音楽に向けられる視点と同質の視点」でポピュラー音楽を研究するというスタンスを捨てきれないのだ。私が、学生(特に糸山さん)にはやれやれ、と勧めておいて、自分では「音楽環境論」の理論的必要性を説くにとどまり、具体的研究としては「テクストの表層に隠された意味」を探ることにとどまっているのもそのせいなのだ。やっぱり、「聴取者」の言葉の断片を拾い集めてくるより他ないのだろうか、それが、「実際に聴かれたもの」の「痕跡の翻訳の断片」であるに過ぎないとしても。
 

 続いてジロー先生の論文。共感するところの多い論文だったが、いかんせん予習不足。末尾に置かれた紀要論文としては例外的に膨大な書誌に挙げられた文献の主立ったものだけでも予め読んでおかないと、論の流れが追えない箇所がいくつかある。たとえばキーワードの一つに「イノセンス」というのがあるが、途中まで読み進んでようやくその意味が分かったりした。そもそも『敗戦後論』を読まずにこの論文を読むというのが無謀なのだ。
 というわけでジロー先生の言いたいことをきちんと理解できているかどうか不安なのだが、高橋哲哉についての考えが基本的に私と同じだったので、そこら辺を準拠点にすればそれほど大きく読み誤ることもあるまい。
 正直に告白すれば、私自身もまた長い間、どうして自分に「責任がある」のか実感できなかった。私の「責任」を証する論理的な因果連関を説明され、「われわれは罪の意識を持たねばならない」と要求されても、「その「われわれ」っていう線引きはどうして可能になったのか、そして私がそこにはいっているとすればそれはなぜか」というGegenfrage(反問)が立ち上がり、「責任を問う彼ら」の立っている場所(「彼らの代わりに」語りうる場。Vertreter=代表者=代理人=セールスマンの職場)がうさんくさく思えてきてしまったのだ。その因果連関が「われわれ」という集合的な人称を共有することを前提として成り立っているものであるからには、この集合性の中身が明らかにならない限り、「誰が誰に対して謝るのか」具体的に見えてこないのだ。
 そんなわけで、私は長い間、一人の人間が一人の人間(それは同一の人間の場合もあれば<自伝的語り>、別の人間の場合もあった<伝記的語り>)について語るという形式の言説を読み解くことを自らの学問的スタンスとしてきた、「一人の「私」に可能な生のヴァリアントを「虚構としての虚構」の変奏として語る」というフリッシュの「順列の美学」はその極北にあるものだ。
 その間、ずっと感じてきた、というか、次第に強く感じてきたまさにそのことがこの論文の中で「変奏」されている。
現場を離れて、あとから「正しさ」の視点に立ってその責任をあげつらって非難することはたやすい。だが考えるべきことは「それが個々人において信じられた」ということである。(野崎:[2000:63])

「三百万」にせよ「三千万」にせよ、「死者たち」を数量化する動きは、死者との関係を「妄想」するだけであって、「英霊」であれ、「犠牲者」であれ、政治の動きでしかない。大事なことは、一人一人の「死者の死」と「対面」しようとしたとき何が起きているかそのことを考えることだろう。(野崎:[2000:67])

「「イノセンスの場を虚構する」「嘘の物語」つまり「私はこの親から(この国に)生まれていない(あるいは、私はこの親から(この国に)生まれている)という物語」を必要とする人がいた(いる)ということ[……]。(野崎:[2000:68])

 一人称単数で語られる「虚構としての虚構」の果てに集合的なものに出会ったこと、そのことによって、主観性から間主観性への、「小さな物語」が「(「大きな物語」ではなく)語りのネットワーク=変奏関係」へとリンクする通路の痕跡を、自分の思考の流れの中で見いだせたこと(「理論」としてそれを知るのは簡単だ)、そして、四〇年近くも生きてくれば自ずと「私が今生き残っていることの罪障」を認識せざるをえなくなること、こうしたことがほぼ同時的に重なって、私はは今、歴史記述の問題に直面せざるをえなくなった。
 だから、ジロー先生が締め括るように、
「「私」から、福沢諭吉のように「私利私欲」から、ノン・モラル(イノセンス)(「えっ、なんで? ぼく、知らないよ」「ぼくが頼んだわけではない!」から、その問いに応答することから始まらなければならないのであって、その問いを「正しさ」という「真理」や「道徳」の名のもとに圧殺することは決して許されない。(野崎:[2000:68])

 テクストを読む技法を意識的に身につけるトレーニングをすることの副産物として私に分かったことの一つに、「一枚岩的な語り口」には必ずうさんくさいところがある、ということがある。ジロー先生が加藤典洋を引きながら言うように、「「誤りうること」を引き受けるのが「文学の力」であり、思想家のたどるべき道筋である」(野崎:[2000:68])とすれば、「一人一人の「死者の死」と「対面」することは、
しかし、私たちはこちらでもあちらでも戦争の遂行のために用いられている決まり文句の兵器庫を混乱に陥れることはできます。私たちが小説家として明晰に書けば書くほど、すなわち具体的に書けば書くほど、生あるものに対して無条件に率直な態度を取り、作為的な描写を拒否すればするほど、この決まり文句の兵器庫をうまく混乱に陥れることができるでしょう。生あるものに対するこの率直さによって初めて、一個の才能が芸術家となるのです。全ての生きているものはそれ自体矛盾を含んでいます。それはイデオロギーを解体します。(Frisch [1958:pページは今この場では不明]

というフリッシュの言葉とそうかけ離れたものではないだろう。
 フリッシュはここで「私たち」という言葉で、「文学的アンガジュマンの作家たち」を指している。これが50年代のフリッシュの基本的自己規定である。(60年代に入ると、「私に可能な虚構」という形で少なくとも外面的には「転向」するのだが)。そして、加藤=ジロー先生は、「国民というナショナルなものの解除のためには、新しい「われわれ」の立ち上げが必要だ」(野崎:[2000:62])と言う。それはその通りだ。しかし、私自身は、当時フリッシュが確信していたような「私たち」を持ってはいないし、加藤=ジロー先生も「「われわれ」と「語り口の問題」」(これはこの論文の第三章のタイトル)に対して、「出発点」しか示してはいない。「われわれ」とは何者で、どのような「語り口」で語りうるのか、ジロー先生の続編を期待する。
2003年3月30日(日) No.41


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