lesendenkenschreiben

☆研究日誌☆

こんなものは本来公開すべきではないのかもしれない。
しかし、不勉強の実態をあえて世間に晒すことで自らを「他律」すれば、
少しは研究も進展するのではないか、と考えた。



2003年6月の日記


なぜかスピードが出ない
環境科学概論Aのために週末に読んだ本。ただし、山岸の本以外は再読。

見田宗介:『現代社会の理論 ―情報化・消費化社会の現在と未来』 岩波書店 1996。
R. マリー・シェーファー:『世界の調律 サウンドスケープとはなにか』 平凡社 1977=1986
山岸美穂・山岸健:『音の風景とは何か サウンドスケープの社会誌』 日本放送出版協会 1999。

最近、見田の名前を聞く機会がすっかり少なくなった。確かに、今読むと見田の「明晰さ」が見落としているものがたくさんあることに気づきはする。しかし、そのことは見田を読むことが今では不必要になったということを意味しはしない。見田自身の方法がそうであったように、「批判の対象をその可能性の高みにおいて乗り越える」というプロセスを経ることは不可欠なのである。見田もそれを望んでいるだろう。

それ以外に読んだのは、

キャシー・カールス:『トラウマへの探求 証言の不可能性と可能性』、作品社、2000年。

の第2章から第11章まで。

5月の始めに第2章の途中まで読んだままになっていたのだが、自主講座の話の展開からして、今月の末あたりにトラウマ論について考えることになりそうなので、再び読み始めた。

そもそも何で途中で読書を中断していたかというと、「なぜかスピードが出ない」からである。特に第二章の

ショシャナ・フェルマン:「教育と危機、もしくは教えることの波乱」、p29-100.

を読むのが「重かった」。

おもしろくないというのではない。その反対だ。ただ、一つ一つの言葉に呼び止められて、なかなか先に進めないのだ。それは、トラウマというテーマが「証言」と「応答」のプロセスの中に読者を参入させてゆくからであり、同時に、フェルマンの論文が、彼女がイェール大学で行った講義の記録という形を取っていて、その一回、一回の展開にこちらの思考をできるだけ合わせようとすると、どうしてもゆっくりとした読みになってしまうからでもある。

ここには大学での「講義」というものがもちうる極限の形がある。フェルマンの講義に出られる学生というのは幸せだ。
2003年6月2日(月) No.70

前から後から
自主講座の準備として、高橋哲哉の野家啓一批判の論点を整理し、それに対する野家の「応答」を見ようとしたのだが、話はそう簡単ではなかった。

高橋の野家批判のテクストとをていねいに読みつつ、そこで引用されている野家のテクストとを元のコンテクストの中でミクロに再読するという作業を繰り返し行わないと、高橋のロジックとそれを提示するスタイルの問題点が明らかになってこないのである。

にしても、野家と高橋の両方を相互引証しながら批判的に再検討するのは楽ではない。二人ともを批判しておいて、一体自分はどこに着地しようとしているのか、一抹の不安が脳裏をかすめもする。

Wolfgang Frühwald: Parodie der Tradition. Das Problem literarischer Originalität in Max Frischs Roman >>Stiller<<. In: Materialien zu MFS I S.256-268.

『モントーク岬』より後に書かれた論文なので、さすがに「引用の中の生」というポイントをうまく押さえている。そこに「ロマーン形式の(パロディ的)引用としてのロマーン」という問題を絡めているところがうまい。そういうふうにみるとシュティラーもまたメタフィクションとしての資格を十分に具えているということになる。
ロマーンというのは何でもありのジャンルだが、自己のジャンル自体をジャンルが飲み込んでゆくことで無限に増殖していく。資本主義みたいなものなのだろうか?
2003年6月3日(火) No.71

長丁場だった
キャシー・カールス(編):『トラウマへの探求 証言の不可能性と可能性』をようやく読了。

自分の理解力のせいなのかどうかは分からないが、論文によってずいぶんおもしろさや読みやすさが違った。内容にもよるのだろうが、章ごとに訳者が違っているせいもあるだろう。

全体を通して読んでも、やはりフェルマンの論考が一番の出来だ。次が、第9章、ヴァン・デア・コーク&ヴァン・デア・ハート:「進入する過去 ―記憶の柔軟性とトラウマの刻印」であった。

夏の前半は「歴史・物語・倫理」についての論文をまとめ、後半は「ほら吹きの論理と倫理」について書く、という計画からすれば、そろそろ前者の戦線の拡がりを収束させていく時期なのだが、逆に拡がってゆく一方である。他方、「ほら吹き…」の方は文献の大半がドイツ語なので今から少しずつ読んでおいた方が9月になって焦らずに済む。

とりあえず今日はMFSの続きを読んで、明日からそれに並行して、

ショシャナ・フェルマン:『声の回帰 映画『ショアー』と<証言>の時代』 太田出版 1995年

に取りかかろう。

にしても、最近はどんな理路を辿っても「倫理」に突き当たってしまう。なぜだろう。
2003年6月4日(水) No.72

二次文献の楽しみ
Kurt Marti: Das Bildnis und die Schweiz. In: Materialien zu MFS I S.269-270.
Paul Nizon: Und Stiller...? In: Materialien zu MFS I S.271.
Peter Demetz: Das Schweizer Establishment und Anatol Ludwig Stiller. In: Materialien zu MFS I S.271-274.
Klaus Schimanski: Der Konflikt zwischen Individuum und Gesellschaft in Max Frischs >>Stiller<<. In: Materialien zu MFS I S.275-281.
Max Frisch: Amerikanisches Picknick. In: Materialien zu MFS I S.282-286.
Charles H. Helmetag. Das Bild des Autos in Max Frischs Stiller. In: Materialien zu MFS I S.286-295.
Walter Hinderer: Ein Gefu¨hl der Fremde. In: Materialien zu MFS I S.297-303.

『シュティラー』についての二次文献をちまちまと読んだ。二次文献をていねいにフォローすると、論文の「生産性」は確実に落ちる。まあ、言ってみれば、自分と同じ程度の力量の二流研究者の書いている論文まで一つ一つ読むのだから、「労多くして益少なし」という気分になってしまうときも少なからずある。

以前書いたように、大物が書いたものだけを読んでいった方がはるかに「効率」がいい。

しかし、学問的な誠実さから言うと、できるだけ綿密な先行研究の検討をすべきなのは言うまでもない。実際、ヨーロッパで出される博士論文なんかは実にきっちりと二次文献を収集している。

というわけで、今回の『シュティラー』論では、シュティラーのつく「ほら」を、他の研究者がどのようなコンテクストに置こうとしているのか、という視点からかなり綿密な二次文献の読解を始めているのである。

昨日の晩から今日にかけて読んだ中で一番の当たりは、Charles H. Helmetagの論文である。

Helmetag「自動車」を一つの符丁(Chiffre)として読んだとき、一見したところただの事実の再現のような感じのするテクストが、少なくとも二重の意味作用の場としてある、ということを実に説得的に分析している。

要するに、事実性のレベルで起きた出来事の描写もまた、メタレベルでの物語との相関関係(とそこからのズレ)なしには成立しないということなのである。

この論文のおかげで、自分自身の「ほら吹き」論は大幅な議論の拡がりを獲得することになるだろう。

ときどきこういう論文に出会うことがあるので、二次文献のフォローで手を抜いてはいけないのだ。

明日読むのはReich-Ranickiの『シュティラー』論。この超大物はどんな読みをしているのだろう。楽しみである。
2003年6月6日(金) No.73

ある出会いそこない
ショシャナ・フェルマン:『声の回帰 映画『ショアー』と<証言>の時代』 太田出版 1992=1995。

 日本で『ショアー』の上映運動が行われていたとき。私は大阪で暮らしていた。しかもこの上映会には私の知人、同じ研究会のメンバーも関わっていた。

 にもかかわらず、私は上映会に足を運ばなかった。

 「行かない」理由はたくさんあった。それを今ここで一つ一つ挙げることはしない。「何かをしないことの理由」を人は無限に考えつくものだ。が、いずれにせよ事実として行かなかったのだ。

 二つの映画を比較することが適切なのかどうかよくわからないが、今年の一月に、それなりにタイトな日程をやりくりして『チョムスキー 9.11』を観にゆき、ヴィデオを購入し、学生たちにも閲覧の機会を提供しているのとは対照的だ。

 1995年と言えば、私が長かった大学院生活に一つの区切りを付けるという意味も込めて、「「私」は文学によって表現できるか?」を執筆していた時期にあたる。
 つまり、マックス・フリッシュの一人称の語りおよびそれについての思考を読み解くことで、「私」にとって経験しえぬものの側から語ること、「他者」に成り代わって言葉を口にすることを自らに禁じ、「私」が語りえぬものとしての自分の「経験」を言語へともたらす可能性の在処を探っていた時期である。それは同時に、間主観的な「現実」から遠く離れて、虚構としての虚構の果てへと至り尽くそうとする試みでもあった。

 その「果て」に見たもの、「私」という現象の極北に見たものは、「経験」において「私」に書き込まれた、「「私」の及びえぬもの」、「「私」の内奥にして、「外部」」としての「社会的なるもの」、あるいは、「人間学的な意味での関係性の接合/切断」であった。

 これを、フロイト的な理路に置き換えて解釈することは可能であるし、的を射ている。ただし、私自身は当時そのことを意識していなかったし(ぼんやりと意識し始めたのは1998年頃だ)、フリッシュ自身も直接的にフロイトに言及してはいなかった。だから、理論を知ることによる近道をしてしまうことなく、フリッシュと仮想の対話を続けることで、意図せずして、骨格の非常によく似た理路をたどることになったのだ。

 「内奥にして外部なるもの」に出会った頃から私の研究はゆっくりと、その「外部」に向けて内側から「展開」し始めたように思う。
 今年、院生たちと「歴史・物語・倫理」という自主講座を開いていることもそれに関係している。「物語る」という行為について思考を突き詰めてゆくと、どうしても、歴史と倫理の問題と取り組まざるをえなくなるのだ。

 このような研究上の「展開」の中で、私はフェルマンの『声の回帰』に出会った。八年前に出会いそこねた映画『ショアー』が再び私に呼びかけることになったのである。

 『声の回帰』は、私がこれまで読んだいかなる「ショアー論」よりも、私の研究者としてのあり方に揺さぶりをかけている。「『声の回帰』の衝撃」を、私の物語論がどこまで受け止められるのか、その衝撃にどこまで応えることができるのかが、死活問題として問われている。

 おそらく八年前に『ショアー』を観ていたとしても、こうした衝撃は決して受けなかったと思う。観ていながら観損なっていただろう。フェルマンという「証人」の声を聞き届けることで、この映画はようやく私にとっての出会いの場へと回帰したのだ。
2003年6月9日(月) No.74

フェアな論争なるものはありえるのだろうか?
自主講座に向けて、野家啓一と高橋哲哉の「論争」を再読する。

 一言でまとめれば、二人の議論はうまくかみ合っていない。そこには歴史に対するコミットの仕方の根本的な違いが分かり合えていないという問題があるのだが、それ以外にも、論争のやり方それ自体に由来する問題もあるように思われる。

 その典型は、「相手が本当に言いたいこと」や「相手の議論の<可能性の中心>」を、意図的にかどうかは分からないが、「排除」し、そのことのよって相手の議論を(えてして二項対立的に)単純化した上で、そこを攻撃するといったやり方である。
 日常生活において生じる口げんかの多くは、こうした単純化によって「激化」する。私などもよく経験することだ。しかし、よりによって、まさに出来事の選択的再構成と排除を問題にしている「歴史の物語り論」をめぐる議論において、相手の「偶像」(野家)を作って、実体ではなくその偶像を批判するというのは、「反省的」(野家)契機に欠けると言われてもしかたないのではないだろうか。
 そのことによって、野家と高橋という現代日本を代表する思想家の<可能性の中心>が相乗的に新たな可能性の領野を切り開く<可能性>が「排除」されてしまっているというのが私の見立てである。
 しかしもしかすると、研究者の行う論争の中にはこうした「批判し損ね」の応酬が結構あるのかもしれない。
 批判し合う両者のテクストをていねいに読み解いていけばそのことは分かるのだが、たいていの場合そこまでしないで、「偶像」をそのまま「実像」として受け取ってしまう。

 フェアで知的に誠実でかつダイナミズムに富んだ「論争」の例があればぜひ読んでみたいものである。
2003年6月10日(火) No.75

再開
Marchel Reich-Ranicki: Über den Romancier Max Frisch.In: Materialien zu MFS I S.307-319.
ラニッキがフリッシュについて書いたものはいつもスッと頭に入ってくる。部分的には納得できない読みもあるのだが、全体としては、フリッシュという物書きが提示している問題を実に立体的にマッピングしている。
この論文の中で、ラニッキは、フリッシュのドラマやロマーンをその内容のレベルで読むと、魅力的な問題設定からスタートして、実に平凡で常識的な結末に至るということをはっきりと指摘している。
 1963年、つまりフリッシュが最も精力的に仕事をしていた時期にこういうことを書ける人というのはそう多くはなかったはずだ。
 それでも『シュティラー』は戦後ドイツの散文の頂点の一つである、とラニッキは言う。それは、このロマーンが「断片に対する偏愛」、「伝統的な統一の解体」、「未完成なものの強調」において、つまり、テクストの形式において決定的な革新をなし遂げているからである。
 ラニッキがこの評論を書いていたまさにその時期に、フリッシュの美学は大きく変容を遂げる。それは思想上の転回/展開であると同時に、「断片に対する偏愛」のいっそうの方法化でもあった。
 翌年、1964年に『我が名をガンテンバインとしよう』が出版される。このロマーンをめぐるハンス・マイアーとの論争の中で、ラニッキはフリッシュの思想とは「物語り行為論」であることを再確認することになる。

Der Blinde S.180-182.
約三ヶ月もほったらかしていた翻訳を再開。少しずつでも毎日やることを決意。
いつも思うことだが、劇作家としてのデュレンマットの力量は圧倒的である。Stoffeブームが一段落すれば、やはり「芝居書き」としてのデュレンマットこそが繰り返し読むに価するものだと、人々も認識するであろう。
2003年6月11日(水) No.76

宗教と境を接して
Roland Links: >>Stiller<< In: Materialien zu MFS I S.320-337.

後になればなるほどピンとくるところの少なくなる論文。

ただし、フリッシュによって疎外態から脱したところに想定されているものが、「宗教的なもの」と境を接している、という指摘は重要である。というのも、フリッシュは一方で、「不信の美学」を提唱しているからである。つまり、超越論的物語が消滅した時代において、「「私」の外部」を見出そうとすると、「私」の権能の外部にあるなにものかであって、かつ、偶有性(別のようでもありうること)に開かれたものを想定しなくてはならなくなるのだ。
 宗教的な知の「可能性の中心」を謙虚に受け止めて、それを人間学的現実に結びつけて行こうとするなら、どうしても「必然」と「偶有」との間に線引きをしなくてはならない。それをしなければ、宗教的なものはまたしても抑圧のイデオロギー装置になってしまうだろう。
 そう考えてみれば、フリッシュが1946年に、聖書を引用して、「汝偶像を作るなかれ」と言ったとき、それは既に、神の偶像ではなく、人間の偶像、つまり、他の人間と自分についての固定的なイメージのことを指していた。
 そして、この引用が否定形によって書かれていることを見落としてはならない。「なにものか」というものは、それが「なにものか」であるかぎりにおいて、否定形によって、より正確には、否定形の連鎖によって、とはつまり、言説の相互否定の連鎖の向こうに間接的に手探りされるホログラフィーとして表現されるより他ないものなのだ。

肯定形は閉鎖的で固定的だが、否定形は開かれていて動的なのだ。

そして、人間と動物との本質的な違いは、否定形を知っているかどうかであった。

Der Blinde S.183-184.

早くも計画が遅れがちである。来週はもっとコンスタントにやらねば・・・
2003年6月15日(日) No.77

『月刊ウチダ 6月号』
内田樹:『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』 晶文社 2003年。

一年に雑誌論文を二本書くと、二本目の品質が今ひとつになってしまう自分のような遅筆家にとって、最近の内田さんの仕事のペースは完全に別世界のものである。

自分なりに、書きたいテーマが何冊分かあるのだが、はや不惑を前にして一冊たりとも世に出していない。内田さんだって単著を出したのは知命を過ぎてからではないか、というのは慰めにも言い訳にもなりはしない。内田さんがブレイクしたのがその力量からすれば遅めだったのは確かに事実だが、そのかわり自分の年齢の頃にはレヴィナスの翻訳をばんばん出していた。

「考える前に書け」を自ら実践せねば。

『映画の構造分析』それ自体についての感想は別の場所に掲載される予定。
2003年6月18日(水) No.78

棚ぼた
会議に出るために、台風が再接近する中をずぶぬれになりながら徒歩で大学に向かった。それとほぼ同じタイミングで、会議の延期と、二時間目以降の講義の休講が決まったらしい。

おかげで、今日は会議とゼミ&その準備で、ほとんど研究時間を確保できないとあきらめていたのに、ポッカリと空いた時間が転がり込んできた。小雨になってから着替えだけ買いに行って、あとはぼちぼちと仕事をした。

Hans Bänziger: Der >>Steppenwolf<< und >>Stiller<< Zwei Fremdlinge innerhalb der bürgerlichen Welt. In: Materialien zu MFS I S.342-356.

正確には一昨日読んだ論文。「市民的世界の内部における二人のよそ者」という副題通りの内容。
 そりゃ、似ているところはあるだろうけど、違いの方が大きいんじゃないかね。

Andrew White: Die Labyrinthe der modernen Prosadichtung Max Frischs >>Stiller<< als Roman der >>Entfremdung<< und der >>Nouveau roman<< . In: Materialien zu MFS I S.356-376.

「疎外」は確かに、フリッシュのキーワードの一つだ。フリッシュ自身が、『ガンテンバイン』のテーマは「疎外」であると言っている。
 初めのうちは、「意図的に疎外状況を作り出すことで、眼前の疎外から抜け出す」というホワイト(シュティラーの偽名と同じ名前だ)の論理がよくわからなかったのだが、要するに、自己を意図的に分裂させ、その断片のそれぞれに物語を与えていくこと、のようだと理解してから、言いたいことが見えてきた。
 確かに、『ガンテンバイン』の語りの方法はヌーボーロマンのそれによく似ている。しかし、ホワイトがやっているように、表面的な類似性だけを問題にしてもあまり意味はないのではなかろうか。
 ホワイトは、フリッシュがホルスト・ビーネクとの対談で、Ich bewundere die Vertreter des >nouveau roman< die aus Theorie darauf verzichten Romane wie Balzac zu schreiben と言っている箇所を引用して、「彼[フリッシュ]が<ヌーボーロマン>のことをよく知っており、それを高く評価していることは疑いない」(370)と主張している。
 これはbewundereを文字通りに「賛嘆する」という意味に取っているから可能になる解釈である。だが、文脈からすると、このbewundereはIch bewundere deine Naivität(お前の単純さにはほとほと感心するよ)といった皮肉を込めた意味で使われているのである。なぜなら、この文が置かれた文脈でフリッシュは、理論のためなら小説としての成功をも断念するヌーボーロマンの作家たちと違って、自分は「成功を見出した場所でそれを自分のものにしなくてならない」と言っているのである。
 あるいは、『ガンテンバイン』についての仮想の対談の中でもフリッシュは、「いいえ、ヌーボー・ロマーンではありません」とはっきり述べている。つまり、予めそういう誤解を予想した上で、そんなのと一緒にされては困ると予防線を張っているのである。
 フリッシュの出発点にあるのは、先の論文の中でベンツィガーが言っているように、市民社会の中で、何らかの点でアウトサイダー性を身に負ってしまった人間の実存的疎外状況だ。つまりはフリッシュ自身の。それを描くための可能性をギリギリまで突きつめていく中で、虚構としての虚構という技法が生み出されてきたのであるから、フリッシュにとって理論は二次的なものだ。

昨日内田さんからもらったメールの中の

書いた本人は自分が何を書いたのか、よく覚えていないし、それがいったいどういう
包括的な戦略の中での「作戦行動」なのかもあと知恵でしか分からないものです。


という言葉に近いものがフリッシュと理論との関係においてはあるのだ。フリッシュの「順列の美学」とは、(私のような)研究者が事後的に再構成しているものであって、テクストが書かれている現場においては、せいぜい作業仮説のようなものでしかないのだ。

Der Blinde S.183-191.
毎日やると宣言したのにまたさぼってしまっていた。今日は多少集中して訳したが、まだまだ先は長い。
(何しろ、「身体で考える」人ですから)
2003年6月19日(木) No.79

うーん、これではちょっと・・・
ジュディス・フェッタリー:『抵抗する読者 フェミニストが読むアメリカ文学』 ユニテ 1994

1995頃にはすでに買ってあったのだが、そのまま読まずにほうっておいた本。そうこうするうちに内田さんが、ダメなフェミニズム批評の代表例として何度も言及するようになり、ますます読む気が失せてしまっていたのだが、その内田さんが『映画の構造分析』の中で、この本が最初に槍玉に上げるのが「リップ・ヴァン・ウインクル」だと書いてあったので、ちょっと読んでみようかという気になった。
 とりあえず、序論「文学の政治」についての、第一章のなかの「リップ」論を読んだのだが、「テクストは政治の場である」ということを初めて知って、それを卒論か修論で援用してみた元優等生が書いた論文のようであった。
「リップ・ヴァン・ウインクル」についての解釈史の一例としてはおもしろくなくもなかったが、続きを読むことはたぶんないであろう。

フェルマンの知性の良質さを再確認させる本。
2003年6月20日(金) No.80

久々の大ヒット!
ゾール・フリードランダー(編):『アウシュヴィッツと表象の限界』 未来社 1994年。

ちょうど半分くらい読んだところで中間報告。

非常に簡単に言えば、ヘイドン・ホワイトとカルロ・ギンスブルクの間で為された、野家-高橋の論争。ただし、二人の直接対決を軸にして19人の論者をUCLAに集めて研究集会を行ったというのだから、気合いも規模も全然違う。(こちらは二人が直接対決しようとしないもんだから、私なんぞが対決をシュミレーションしているのだ・・・・)

ホワイトの立場は野家の歴史哲学にかなり近い。というより、野家の歴史の物語論はホワイトとダントに負うところが多いのだから、当然そうなる。あえて言えば、ホワイトはプロットの方に力点を置いているが、野家は物語行為の方に力点を置いている点が違う。

一方、ギンスブルクの立場は高橋と似ているが、力点の置き方はかなり違う。「歴史上の現象についてのあらゆる表象には、ぬぐいさることのできない相対性がつきまとっている」というホワイトの主張に対して、ギンスブルクは、歴史における客観性と真実を擁護する。倫理的な立場をあからさまに前景化させることはせず、間接的に言及するにとどめている。

ここでは、「歴史の物語論」が、あるひとつの「限界に位置する事件」に向き合ったときに、それをどのように自らの理論-実践的な枠組みの中に位置づけることができるのかが問われている。野家の「語りえないものについては沈黙しなくてはならない」というテーゼが、「限界に位置する経験」にどのように対するのか、という問いと同型である。

このような重いテーマを扱った本を読んだときの感想として適切ではないかもしれないが、久しぶりに手に汗を握る読書経験が本書によってもたらされた。一人一人の論者の議論とそれに対する応答が実にスリリングなのである。それぞれが自分の研究者としてのアイデンティティを賭けてこの議論の場に臨んでいるのだということがひしひしと伝わってくる。

現時点での私の考えでは、理論的なレベルではホワイトの方が優位に立っている。ホワイトの方がメタ理論的なので議論の設定の仕方の中に実証主義的な立場を折り込み済みだからである。しかし、「限界に位置する事件」を前にすると、ある種の倫理的判断を、つまりはどのように語るのかという選択をせざるをえなくなる。そうなると相対主義的なメタ理論だけでは判断の根拠を示すことができないので、どうしても自らの理論的立場に修正を加えざるをえなくなる。そうでないと、ホワイトの立場は結局は修正主義者を利するものである、というギンスブルクの批判に答えることはできないのだ。

ここでもホワイトと野家の置かれた位置はよく似ている。さて、ギンスブルクはどう攻め、ホワイトはどう切り抜けるのか?

読み終わるのがもったいない、と久々に思ってしまった。

ただし、この翻訳は抄訳で、七人の論者の報告しか掲載されていない。なんとか原書を入手して、全てを嘗めるように読もうと今から決意している。
2003年6月22日(日) No.81

どうして?
『アウシュヴィッツと表象の限界』読了。

最後のベレル・ラングの論文が自分の思考の型になじまず、よくわからなかったが、それ以外の論文は☆☆☆である。

にしてもよくわからないのは、野家啓一も高橋哲哉もこの本をきちんと読んだ形跡がはっきりとは認められないということである。目に入らなかったはずはない。そして読んでいれば、二人の間の「論争」のかなりの部分は避けられたと思うし、もっと「相乗的」な関係性を築くことができたはずである。

なんでだろ?
2003年6月24日(火) No.82

フィクショナルなものへ
今日の自主講座でようやく、野家-高橋論争の概略を確認し終えることができた。もともとはどちらかというと野家寄りの立場からスタートした研究なのだが、しだいに、野家の議論の問題点がはっきりと見えてきた。かといって、高橋の立場に賛同するわけでもない。だから基本的には二正面作戦とならざるをえなくなったわけで、自分の姿勢(Einstellung)をどんな風にして定めるのかなかなか難しいところである。

しかし、いずれにせよ、野家と高橋の議論がともに十分に捉え切っていない、語りえぬものと虚構性との関係を、再度フロイトに即して検討するところにとっかかりを求めるより他なさそうである。

シンポジウムの原稿はとりあえず40枚でまとめることになるが、long versionを書かないと、「語りえないものを語る」というアポリアの問題の布置を描ききることはできそうにない。

やるとすれば夏休みしかない。しかし夏にはStiller論を仕上げたい。だが、今の勢いでlong versionをまとめないと、二度と取りかからないような気もする。夏休みは長いようで短い。

どうしたものやら。
2003年6月25日(水) No.83

書評の50年
Der Blinde S.192-198.
訳したのが47ページで、残り45ページ。半分は終わったが、まだまだ先は長い。しかし、今年の前期のような比較的授業が少ないときにやらなくて、一体いつやるというのだ?

Antworten der Literaturkritik in:In: Materialien zu MFS II S. 379-401.
1 Siegfried Unseld
2 Karl Korn
3 Werner Weber
4 Emil Staiger
5 Hermann Hesse
6 Franz Schonauer
7 Friedrich Luft

Stiller (1954年)に関する出版当時の書評を読んでいった。スイス留学中に『シュティラー』についての書評はかなり丹念に収集したのだが、まだ整理が出来ていない。(書類整理に対する苦手意識をなんとかせねば・・・)で、とりあえず、その主だったものを集めたUMF IIを読むことにした。

ある本が繰り返し読まれるということはあっても、その本についての書評の生命は短いのが普通である。だから書評を依頼されたとき書き手は同時代かつ同言語圏の教養市民層を読者として想定しているはずである。(もちろん例外はあって、ある本について書かれた3ページの書評を越える研究が出てこないがために、何度となく言及される慧眼かつ幸運な書評もまれには存在する。Gerhard KaiserのHomo faber論なんかがそうだ。)

当然のことながら、50年後に、ドイツの新聞に掲載された書評を読む日本人が現れるなどということは全く想定されていない。

書き手が全く想定していない読者が読むことによって、二つのテクストが重ね合わされる。書評というそれ自体が他のテクストに言及することを前提としたテクストと、読み手というテクストである。決して「私」に宛てられたものではないテクストを「私」が読むのである。

とは言っても、書評と「私」というテクストを構成する糸とは全く別のものであるというわけではない。「私」というテクストが織られてゆくプロセスの中には、様々な形で戦後ヨーロッパの文化現象を読むという行為が含まれている。

同時代の読者が読みとったものは何であるのかということを想像的に理解しながら、同時に、自分の読みを構成してゆくこと、それが50年後にStillerについての書評を読むという行為なのだ。
2003年6月26日(木) No.84


[Admin] [TOP] [LIST]
shiromuku(pl1)DIARY version 1.33