・松下正己:「越境の地平 映画館論」、「工場の出口から遠く離れて」 所収:内田樹&松下正己、『映画は死んだ 世界のすべての眺めを夢見て』、いなほ書房、1999年、p.150-181、214-245.
・内田樹:「大いなる青 リュック・ベンソンの冥界」、「CINE-OPIUM<映画的身体>論」、 所収:内田樹&松下正己、『映画は死んだ 世界のすべての眺めを夢見て』、いなほ書房、1999年、p.120-149、182-213.
私は自伝的語りを読むのが好きだ。日経に連載されている「私の履歴書」のようないわゆる社会的「成功者」の自伝から、単なる履歴書の切れ端のようなものまで、あるいは、伝統的な自伝的語りの枠内にきちんと収まるものから、それが個人史について語っているのか単なる思いつきを記述しているのか判然としていないものまで、その形式や内容に違いはあれ、「私が私について語る」という不可能を内包している語りに対する偏愛は長らく私の研究を突き動かしてきた。
「社会的成功者」の自伝などどこが面白いのかという意見もあろう。それは単なる自慢と自己美化のフィクションではないかと。そうなのだ。その通りなのだが、だからこそ面白いのだ。
いかなるテクストも読みの水準の設定次第で読むに値するものになりうるのである。
さまざまな自伝的記録を読む中で私はそのことに確信を抱くようになった。
『映画は死んだ』もまた「自伝的記録」である。とりわけ松下さんの担当している諸章はそうだ。無論、この本は映画論なのだが、そこには書き手の個人史が、少なくとも映画的個人史が書き込まれている。そのことはあとがきを読めばよりはっきりする。35年前の二人の早熟なSF少年の出会いの孕む可能性の一つがこの「共著」だったのである。
政治家であろうと、スポーツ選手であろうと、学者であろうと、いかなるジャンルの住人であれ、いい仕事をしている人間の自伝的語りの中には、必ずスプリングボードとしての「濫読」時代についての記述がある。無論ここでの「濫読」とは、「濫観」であったり、「濫走」であったり、「濫旅」であったり、「濫会」であったりする。しかしいずれにせよ、「濫の時代」が、17-27歳くらいの時期にあって、そのことがその後の人生のスプリングボードとも、土台ともなった、という話形が、直接的にではあれ、間接的にではあれ、出てくるのだ。
これはあくまでも話形なのかもしれない。しかし、「濫の時代」だと事後的に解釈しうるような段階を経てきたという確信なしに、「いい仕事」を自らの生の中に位置づけることはできないという意味では、リアルな経験である。
「濫の時代」というのは、ただ単にたくさん読んだ時期というのではない。たくさん読むというのは前提に過ぎない。口当たりのいいものばかりをたくさん読んでも、それがスプリングボードとなることはないだろう。むしろ、口当たりの悪そうなものも、とうてい咀嚼できそうにもないものも、それをおいしく食べる方法をなんとかして編み出そうと試みること、食べ方次第では口当たりのいいものよりもより大きい食の快楽を与えてくれるのではないかと考えてみることが、「濫の時代」には必要なのではないだろうか。
その時代を経て初めて、書物のオーラを感じて、ページを開く前から面白いかどうかを判断するといった、素人目には魔法にしか思えない「読解力」が身に付くのではないか。
それは「観る」ことについてもあてはまるはずだ。
こうした意味での「濫の時代」をどれだけ長くかつ深く生きたのか、ということは、いい仕事をするには決定的に重要なファクターである。それなしにいい論文も、いい走りも生み出されやしない。
自分の「濫の時代」が不徹底なものであったのではないかと自省しつつ、あるいはまた、今からでも遅くはないと信じつつ、この本を閉じた。
|
|
|