・Paola Albarella: Roman des Übergangs. Königshausen & Neumann 2003. S.70-108.
ゼミ合宿と週末の間、ほとんど本を読む時間がなかったので、読めたのはこれだけ。作用美学によりかからずに、語りの問題を扱おうとすると、どうしても語り手を前景化させることになってしまう。Paolaの場合も例外ではない。しかし、語り手の実存的問題に重点を置くのではなく、引用の形態としてのパロディの作用メカニズムの要として、語り手を論じているのがなかなかおもしろい。 ただ、「どうしてそこにこだわるの?」というのがよくわからない箇所もいくつかある。日本語で書かれた本だと、行間からそれを読みとることができるのだが、外国語だとそこらへんが壁になる。
<校正>言説環境としての日本論 ―小説『ライジング・サン』における排除/包摂の差異線をてがかりにして
須田君との連名論文の初校が上がってきたので、印刷ミスや不適切な表現を直していった。須田君には申し訳ないが、私の文体独特のリズムの悪さがそのまま出ている。自分のスタイルがないと言った方が適切かもしれない。こういう点は私を見習わないで欲しいと切に願う。 ただ、論文としてのまとまりは割とあると思うので、それほど恥じるものでもないかもしれない。私自身にとってはExkursだが須田君にとっては、これからの仕事の下地となる論文だから、まとまっていないよりはまとまっている方がいいにきまっている。あとは須田君が、この論文のまとまりを一旦解きほぐして、より広いコンテクストに置き直すことができるかどうかであろう。
|
|
|