・藤竹暁:『現代マス・コミュニケーションの理論』 日本放送出版協会 1968年、p.1-173。
ここのところ体調が今ひとつだったり、「行政的」仕事に追われたりして、あまり本を読んでいない。そんな中で藤竹の初期の仕事をフォローしている。 最大の収穫は、藤竹がメディアを環境としてとらえていることの理論的背景が見えてきたことであり、そのルーツは清水幾太郎が第二次世界大戦前後に『思想』に発表した「二つの環境」(1939)と「環境に関する試論」(1947)にあることがわかったことである。 一昨年から昨年にかけて、「言語環境論」ならぬ「環境=言語論序説」という論文を構想し、少しは書き始めてもみたのだが、忙しさにかまけていつしか放置したままになってしまっていた。この構想を清水-藤田の環境論と結びつけ、そこに「物質・情報代謝システムとしての人間」という輪郭を与えれば、<メイン・ストリーム>とやらに無批判に棹さすにわか専門家たちとは一線を画した、基礎科学としての環境学を構想できるという手応えを得た。 問題は、他にもやりたい&やらねばならない研究が多々ある中で、この構想を優先的に論文化するのが難しいことにある。取りかかるとしても三年は先になるだろうな。誰か修論か何かの枠組としてこのアイデアを買ってくれないだろうか?
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