lesendenkenschreiben

☆研究日誌☆

こんなものは本来公開すべきではないのかもしれない。
しかし、不勉強の実態をあえて世間に晒すことで自らを「他律」すれば、
少しは研究も進展するのではないか、と考えた。



2004年3月の日記


あまり生産的ではない日々
 四月から勤務先の大学院が「生産科学研究科」なるものに移行する。人文系の研究者の私が「生産科学」というのも変な話なのだが、まあ、そのことについてここで論じるのはよそう。
 とりあえず学問的「生産性」を上げたいとは思っているのだが、どうも仕事のリズムが生まれない。 

StillerのOCR処理、S. 492-711.

 スペルチェックより前の作業をゼミ生のHさんに「丸投げ」したおかげで、だいぶはかどった。にしても1ページに何カ所か修正の必要な単語がある。OCRの認識ミスもあるが、固有名詞、方言、外国語、口語、誤植などもスペルチェックに引っかかり、その度に、原典にあたったり、辞書に登録したり、「無視」ボタンを押したりしなくてはならないのでけっこうじかんがかかる。しかし、完成すれば、記憶力のない私には便利になるはずなのだ。

・Marianne Wünsch: Stiller: Versuch einer strukturalen Lektüre. In: Materialien zu MFS II S.541-593

・Gunda Lusser-Mertelsmann: Selbstflucht und Selbstsuche Das Psychoanalytische in Frischs Stiller In: Materialien zu MFS II S.594-616.

 前者は「構造的読み」というので期待していた割におもしろくなかった。後者は期待以上の出来。精神分析をテクストに応用するのではなく、シュティラーの物語り行為のあり方自体が精神分析の営為と相同的な関係にあることを指摘している点が重要。これが私の「フリッシュとレヴィ=ストロース」論とも相同的関係にあるのではないかと予想している。

・Christa Thomassen: Schreiben heißt sich selber lesen.. C.P.Verlag 2001. S.1-34.

 ここにも上のLusser-Mertelsmannと同じような視点がある。ただ、筆者がTheologieの専門家であるためか、シュティラーが最後までカミGottを拒否したことの持つ意味がきちんと捉えられていない。この傾向は他の研究者においても見られる。キリスト教文化圏故の「視点拘束性」なのだろうか?

Der Blinde S.208-218.

翻訳再開。夏休み前にやった箇所20ページ余りの翻訳稿が消失していることに気づき、ショックを受けたが、バックアップ用の外付けハードディスクの中から探し出すことができた。やれやれ。何とか今月中に最後まで訳したい。
 とは言っても、相当長期間に亘って訳しているので、言葉の統一などをきちんとやらねばならない。先は長そうだが講義開始までには素訳を出したいものだ。

・「史学と詩学のあわいに」の初校直し。

 妻に読んでもらったら、悪文や分かりにくい箇所、あいまいな部分などを山ほど指摘してくれた。毎度のことながらしばらくへこむ。明日までに直すのは無理かもしれない。

・その他、四月以降の講義の仕込みなど。
2004年3月18日(木) No.185

der Verschollene
 翻訳も少しは進んだが、「「史学」と「詩学」のあわいに」という台湾での発表を論文にまとめたものの初校に赤を入れる作業に予想以上に時間を取られてしまった。土日月と毎日やったのに遅々としてすすまなかった。
 にしても、なるべく分かりやすく書こうと思っていた箇所に限って、後で読むと論旨が乱れているのはなぜなのだろう。
 本当は、翻訳をやりながら、並行してStiller論を書いてゆくのが私の三月だったのだが、ここ一週間ほどStillerはすっかりverschollenだ。
2004年3月23日(火) No.186


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