ここのところ何もしてなかったかと言うとそうでもない。 Stiller論の締め切りが迫ってきて、ポチポチと仕事を進めてきた。論文の輪郭がおおよそ明らかになってきたという段階だ。ただ、当然といえば当然のことながら、「連休中は執筆に専念」といった夢のような生活からほど遠い状況にあるので、間に合うかどうかは微妙なところだ。週末に体調を崩さないようにするのがポイントだろう。
今回の論文は「嘘つき」についてだが、その準備をしているうちに、Stillerに関してもう一本論文を書きたくなってきた。私の場合、これは逃避の兆候だ。目の前の論文も書けるかどうかわからないのに、はや次の論文の構想を練っているのだから。 しかし、逃避と紙一重のところで、いいアイデアが湧いてくることもある。論文を書くということは、仕込んだネタの9割を捨てるということと同じことだが、その捨てられたネタをリサイクルして、大切に育てるとそれが大きく育つという場合もあるのだ。 というわけでここ二三日考えているのは
『写真週刊誌のリアル あるいは『シュティラー』のメディア性をめぐって』
という論題。今書いている「嘘つき」論文を仕上げた勢いで取りかかれば、夏休み前に書けるかもしれない。
単なる思いつきではあるが、メディア=媒介性を軸にして、大学の講義で話していることと、フリッシュ研究とをうまくつなげることができるかもしれないと思うのだ。
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