「ワタシ」的日常(2002年12月)
02/12/31(火):落ち葉を集めつつ
今年も今日で終わり。軍手をはめ、ビニール袋を手に、近所の荒れ山、通称「凸凹山」and/or「バルタン星人の基地」の雑木林を徘徊して、せっせと落ち葉を集める。それを我が家の猫の額に埋めて堆肥にするのだ。ああなんて環境にやさしい人なんだろう私って!?落ち葉の下からは冬眠モードのハサミ虫やダンゴ虫がモソモソと顔を出す。カブトムシの幼虫でもいないかと地面を少し掘り下げてみたが残念ながらいなかった。暖かい木漏れ日の下でもそもそと時を過ごすのはとても気持ちいい。明日の元旦も天気がよければお落ち葉集めをすることにしよう。
02/12/29(日):これで私も「日本人」!?
PHSの圏外に出てしまった。都市部を離れるとPHSが使えないところは意外に多い。
大学院の演習で『伊豆の踊り子』を読んでいるので、そのフィールドワークのために(ウソ)伊豆を旅する。
(『伊豆の踊り子』が必読文献だと思っているわけでは決してないが、読み筋の定まっているテクストの中にあえて違った読み筋を発見してゆく初心者用の練習課題としては実に「お値打ち」だ。近代日本を代表する「文豪」といえどもテクストの表層を統御し切ることは決してできないこと、だから『踊り子』もまたいくつもの読みに対して開かれてゆかざるをえないということが手に取るようにわかるのだ。)
伊豆の泉質はアルカリ性単純泉が多いようで、「効き」自体は、別府や雲仙に比べると「おだやか」なような気がする。若いころは「温泉」というだけでありがたがったが、最近は「効き」を気にするようになった。個人的には「濃い」のが好きだ。
スイスにいたころ、「日本人はみな一度はフジヤマに登ったことがある」と信じていて、「登ったこともないし、そもそも新幹線から一度見かけたことがあるだけだ」と答えると、「やっぱりおまえはチベット人だったんだな」などとリアクションされて、困ったことが一度ならずあった。(そもそも、たった一度でも新幹線の車窓からフジヤマをみたことのあるチベット人が何人いるというのだろう?)
(当時、ヨーロッパでは中国のチベットに対する抑圧的政策が社会的関心として共有されていて、日本人でも中国人でもなければ、「チベット人」という短絡的な反応をする人がいた。あるときなど、エリコンというチユーリヒの下町を歩いていて、おばあさんに駅までの道を聞かれて、同じ方向なのでご一緒しましょうと答えると、「おやまあ、チベット人は親切なのね」と感嘆されたこともあった。「おまえはいかにも日本人らしく見える」と言われて嬉しいわけでは決してないが、初めのうちは何故に「チベット」なのかまったくわからなかった。)
今回の伊豆旅行は、天気が最高にいいので、富士山をさまざまな角度から堪能できた。「近景に駿河湾、遠景に富士、などという「いかにも日本」な風景もたっぷり鑑賞した。あと、富士山に登りさえすれば私も立派な「日本人」だ。
02/12/25(水):まるで奇跡のように
去年は充電するはずのゼミ合宿でエネルギーを消耗し、直後に風邪を引き、その後半年くらい、健康な時期の方が短かったのではないかと思われるほどに、鼻と喉をやられ続けた。
で、今年はゼミ合宿で、若者たちに付き合って明け方まで呑むのはやめにして、温泉のエネルギーを体内に吸収することに努めることにした。その目論見はもろくも崩れ去ったのだが、結果として今年は今のところ、多少喉が痛くなったくらいで、とりあえず健康に過ごせている。
仕事柄、喉と鼻をやられるとつらいので。この調子が維持できるよう「カミ」にも祈るきもちである。
02/12/24(火):私は悪筆家だが、それは確かに問題かも
年賀状を書いた。今年は響一郎の「作品」を使ったので裏面は割と簡単にできた。そこに一言書き添えれば裏面は完成だ。しかし、印刷された宛名は嫌いなので、表面は全部自分の手で書く。
そのとき何が辛いと言って、自分の悪筆を目の当たりにすることほど辛いものはない。
えっ、何だって、普段から堂々と読めないような字で黒板に殴り書きしてるじゃないか、って?
それはたしかにそうだ。しかし、それは多少悪筆でも許されると思っているから、それほど苦にならないのだ。
きれいに書こうと思っているのに、出来上がったものは小学校低学年よりも、いや、響一郎よりも、つたないものだというところにあるのだ。
い起こせば、私は小さい頃から超悪筆だった。
悪筆に関して今でも鮮明に覚えていることがある。小学校の頃、国語は数少ない得意科目だった。(苦手だったのは算数) 特に四年生の時、学級委員の女の子にあこがれていて、その子が国語を得意としていた、なんとか自分のことを意識してもらおうと思って、入学以来初めて国語のテストの前に準備をした。(といっても、教科書を通読する程度だったが)おかげでテストは、漢字の書き取で多少取りこぼしがある以外ほとんど全部○だった。ところが一学期の通信簿をもらってびっくりしたことに国語の成績が5段階評価で4ではないか。
私は即座に担任のところに行って抗議した(教師に抗議するのは昔から得意だった)。するとその先生(50歳くらいの女性でたしか岩瀬という名前だった)が答えて言うには:
「字が汚いから、20点引いといた」
であった。
私はその年の冬、書道大会の時、文字通り寝る間も惜しんで猛練習した。そして、何と金賞を勝ち取った。課題は「太陽」だった。周囲の驚きは相当なものだった。私の書は翌年まで校長室に飾られていた。
しかし、そのような一時的な努力によって得られたものは失われるのも早く、私はすぐに元の悪筆家に逆戻りした。
中学校時代の先生はみな達筆だったが、高校にはいると漫画字を書く原清人先生を筆頭に、悪筆教師が何人かいた。そして決定的だったのは、大学の先生たちの悪筆ぶりである。前々からそう感じていたことではあったのだが、黒板に書き付けられた文字と書き付けた当人がしゃべる内容を対比させと、学問的能力と字のうまい下手には何の相関関係もない、ということが手に取るように分かった。
それ以降、私は字をきれいに書こうという努力を完全に放棄してしまったように思う。
しかし、最近、私が学生たちの卒論にあれこれコメントを書いても、実は彼らの方では解読できていないのではなかろうか、という疑問がふつふつと湧いてきた。第一稿で指摘した点が、第二稿でも直されていないことが時々あるのである。
無論、ハヤナギ先生の指摘をあれこれ検討したが、どうしても納得いかないのでしかとした、というのならそれはそれでかまわない。私は検閲してるつもりはないのだから。
しかし、一生懸命書いたコメントがそもそも読んでもらっていないというのは、悲しい。
というわけで、来年の目標の一つは:
「ていねいな字を書く」
にしようと思う。
02/12/23(月):赤ペンの日々
宮崎さんの序論+第一章と志氣君の第二章に四色ボールペンでコメントを入れる。宮崎さんは序論で「つかみ」にかなり苦労している。去年の須田君もそうだった。勉強しすぎると、いろんな研究者の「定説」が相互に干渉し合って、論のスムーズな展開を妨げるのだろうか。それとも単に貧乏症で、勉強したことを全部盛り込みたくなるのだろうか。
経験から言うと、自分ではもうこれ以上絞れない、というところまで、文の贅肉をそぎ落とした方が読みやすい文章になることが多い。(東谷君は例外。君はもう少し見せるための肉を付けた方がいいよ)
コメント入れの合間には、このホームページのコンテンツをボチボチと作っていった。本格営業には程遠いが、ゼミの集合写真とカウンターとリンク集が付いて(といってもつけてくれたのは技術主任志氣君だ)、だいぶホームページらしくなってきた。
02/12/22(日):四番はだれだ
中村ノリ、近鉄残留。うーん。別に来てくれなくてもいいけど、一体来年は誰が四番を打つんだ。アリアス? 金本? いまから大慌てで契約する新外国人? いっそのこと浜ちゃんか?
02/12/22(日):「改訂版」の快楽
今年もいよいよ、卒論のシーズンがやってきた。私の勤務先ではこれを「卒業研究」と呼ぶ。私はこの呼び方が好きではない。卒論とは大部分の学生にとって一生で最初で最後の「作品」である。少なくとも書字によって編まれた作品という意味ではそうであろう。だから、十年後にそれを手にとったとき、「ああ自分はあのとき自分の知力、体力、気力の全てを注いでこれを書いたなあ」と思い起こしたり、子どもたちが大きくなってから「おかあちゃんはこんな論文を書いたのよ」と胸を張って見せられるようなものを書いてもらいたいのである。
それはさておき、ここのところ二週間ほどずっと今年の四年生の卒論の第一章の下読みをやっている。たいていの場合、学生たちの出してくる第一稿はおよそ人前に出せるようなものではない。というか、多くの学生の原稿は、は仮想の読者に宛ててではなく、自分自身に宛てて書かれているのではないかという印象を私に抱かせる。彼らの内的会話(正確にはモノローグか)がそのまま文章になっているとでも言えばいいのだろうか。そして内的会話というのはほとんどの場合、同語反復や自家撞着や未整理から来る混沌をその特徴としている(話し言葉だってそうだが、話すという行為は少なくともクロノロジーに従わなくてはならないので、混沌の度合いは下がるのではなかろうか)
私の卒論指導のスタンスを簡単に書けば:「そのテーマに対する予備知識をほとんど持っていないが、知的好奇心は人並み以上に持っている高校生」が手にとって、「ふんふん、この論文はなんだかおもしろそうだな。うんうん、わかるわかる。え? あ、そういうこと、なるほど」といった感じで読み進められるような文章を書こう、である。
とはいえ、実際に赤ペン(正確には四色ボールペン+蛍光ペンだが)であれこれ書き込みをされた原稿を間にして生たちと差し向かいで話しているときには、ついついきついことも言ってしまう。それで凹んでしまう学生もいるが、今年の四年生は概してタフだ。「君は、日本語を習い初めて二年くらい経った外国人が書くような文章を書くねえ」とか「その文を英語に直したら副文が三つはひつようやね」などと挑発的な嫌みを言われて、ちょっとむっとした顔をしていても、二三日もすると何くわぬ表情で改訂版を持ってくる。
私が卒論指導をせっせとやっているのは、この「改訂版」を読むのが楽しいからである。第一稿と較べて格段にいいものになっているのである。当たり前と言えば当たり前だが、少なくとも私にとって、人間の能力が伸びる瞬間というのをこれほどリアルに経験できる希有な機会がこの卒論「改訂版」を読む瞬間なのである。
02/12/20(金):私は二流の研究者だが、それに何か問題でも?
どんな世界でも同じことだが、大学の教員の間にも力量の違いというものは厳然として存在する。
誰しもあこがれるのは「超一流の研究者」である。「超一流の研究者」とは、その研究分野において決定的なパラダイム変革をもたらすような研究者のことである。具体的な名前を挙げれば、フロイトとかハイデガーとかレヴィナスとかヴェーバーとか柳田国男といったクラスの人たちである。その数は、多めに見積もっても研究者10万人につき一人いるかいないかだろう。日本の標準的な全国学会の会員数は1000-5000人くらいだろうから、確率的に言えば、日本のある一つ学会に「超一流の研究者」が一人もいないことの方が多いわけである。それどころか世界中の研究者を集めても、その分野には一人の「超一流」もいないということすらあるわけである。(そういう分野というのはちょっと悲しいものがあるが・・・)
「一流の研究者」というのは、「超一流の研究者」を「超一流」だと見抜き、その仕事の本質を自分なりに読み解いてゆくことのできる研究者のことである。これは簡単そうで実は難しい。「精神分析をやるならフロイトを読め」と言われてフロイトをひもといたけれども、要するに何が言いたいのかさっぱりわからなかったという経験をしたことのある人は少なくなかろう。前人未踏の分野を切り開こうとする思考の流れは、錯綜し多義的であることが多く、その本筋を捉えるのは容易ではないのだ。しかもその本筋自体が複数の読み筋の複合体としてあることがほとんどである。ましてや、フロイトの仕事が「超一流」だと知られていない時代に、たまたまその論文を手にしても、「なんだこのわけの分からない論文は」とつぶやいて放り投げてしまうのは、特に不思議なことでもないのである。
「一流の研究者」の一流たるゆえんは、未だ無名の「超一流の研究者」の書いた一編の論文を手にし、それに目を通したとき、その筆者がとてつもないことを考えていることを感じ取るアンテナを持っている点にある。そして、そのアンテナで感じ取ったことを、自らの思考の中に編み込みながら、同時に他の人たちに伝達するのである。
このクラスの研究者というのは、1000人に一人は存在する。ということは、日本のある大学に「一流の研究者」が一人や二人いてもおかしくはない。しかし、見方を変えれば一人か二人しかいないのだから、その人に直接指導を受けられる学生というのは一握りであるとも言えよう。
「二流の研究者」というのは、その人と知らず「超一流の研究者」の前を通り過ぎてもただのおっさん/おばさんだとしか認識できないが、ある研究者が一流かそうでないかを見抜く目は持っており、かつ、自分は一流ではないという自覚を持っている研究者のことである。このクラスの研究者は、「一流の研究者」の書いた論文や書物の本質を察知するアンテナは持っている。そうした論文や書物を手がかりにして、「超一流の研究者」の書物をひもとき、「ああ、あのときのおっさん/おばさんは、実は偉い人だったんだなあ」と感嘆するのである。そしてこの感嘆の由来するところを、論文にまとめたり学生たちに教えたりするのである。
私の経験では、このクラスの研究者はたくさんいる。
要するに言いたかったのは、私は二流の研究者だが、「普通」の大学教員というのはそういうものであって、自分の二流さ加減を日々かみしめつつ、なんとか「超二流」になれないかとじたばたしている、ということであり、そのことを別に恥じてはいないということである。
そして、これまでのところ、ある研究者の論文を読んだり話を聞いたりして「この人は一流だ!」と私が感じ、後で化けの皮がはがれたという事例は全くと言っていいほどない。その感覚は論文や話の内容を理解する以前の身体感覚に近いものに支えられている。
もう一つ言っておきたいのは、「一流の研究者」かならずしも「一流の教育者」ならず、逆もまたしかり、ということである。ということは私もがんばれば「一流の教育者」になれるということなのだろうか。これについてはまた今度。
注:今日のタイトルは、鳴門教育大のロック少年増田聡さんの論文『この音楽は商品だが,それに何か問題でも?」 ―音楽産業論の3つのパラダイム―』からのパクリです。
02/12/19(木):私は二流の研究者である
「私は二流の研究者である」というとがっかりする人がいるかもしれない。」
「えー、ハヤナギ先生って、偉そうにしてるのに、二流だったんですか?」が、ちょっと待って欲しい。
少なく見積もっても大学の先生の95%は二流の研究者です。
「じゃあ、一流の研究者ってどんな人なんですか? 超一流ってのは?」
わかりました、明日、これについて説明しましょう。
