「ワタシ」的日常(2003年1月)
03/01/31(金):V率80%!?
ふーっ。今日は朝から、立ち止まり、あるいは手を休めて何かを考える瞬間というものが全くなかった。常にキーボードをたたいているか、赤ペンを動かしているか、話し合いをしているか、廊下や階段を師走っているか、だった。いつもは空気が悪くて空港行きの「リムジン」(この言葉は「文理融合」と関係的同一性を共有している)バスでは眠ろうにも眠れないのだが、iPodでピンクレディのベストアルバムを聴きながら爆睡してしまった。(今は空港のラウンジにいる)
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にしても、江湖さんに「君はOLにぜーったい向かんな」などという権利は自分にはない。自分だって、「サラリーマンに向かない人ランキング」作ったらぜーったいに最上位を争うことになるんだから。
卒論も大詰めにさしかかっているのでこの週末は長崎に残った方がいいかとも思ったのだが、明日は響一郎の「お誕生会」なのだ。人一倍甘えん坊だし。(朝佳音はドキンちゃんand/or峰富士子系だ。グラマーにはなりそうにもないが・・・・)
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にしても、「V率80%だ!」(日刊スポーツ)はないだろう。ただのオーナーの希望的観測だぜ、これって。こんなものを第一面の大見出しに使わないでくれよ。第三面の「静かに闘志燃やす33歳・久慈」の方がよっぽどリアリティがあるな。やつも出戻り&崖っ淵だし、きっと言い味を出してがんばってくれるだろう。関川もなんだったら戻ってお
いで。まあ、この時期の関西系スポーツ新聞にリアリズムを求める方が野暮ってものだが。やっぱロマン主義者でないとあかんのかね、ファンとしては・・・・
03/01/31(金):あと少し
通常形式のゼミは今日で終了。来週は三年生と院生の研究発表会&後期の打ち上げだ。
今年の三年生ゼミはほぼ毎回三時間以上やった。みんなよくがんばってついてきてくれたものだ。
おかげで今年は卒論に引き続いて、後期レポートも楽しめそうだ。
卒論は競技場に戻ってきて最後のコーナーを曲がったところだろうか。インフルエンザとバソコンの故障にだけ気をつければ、三人ともなんとかゴールできるのではなかろうか。みんなゴールインの瞬間のポーズを考えておくように。(って何のことやら?)
03/01/29(水):ようやくゴールが見えてきた
今日で、ドイツ語と「言語環境論」の講義が終了した。
私のドイツ語の講義は年々進むペースが遅くなってきている。手応えとしてほぼ7割の学生が理解したと判断したら先に進むようにしているのだが、現在の初習外国語の仕組み(週一回)では、三歩進んで二歩下がる、といった状態になるのは致し方ない面がある。
「言語環境論」は、(教務委員であるにもかかわらず)授業期間を誤解していて、来週までの授業計画を立てていたのは、まずかった。当初の計画の枝葉をかなり落としながらも、何とか後二回でうまくまとまる、というところまで来ていたのに、最後の最後になって、二回分を一回でしゃべることになってしまった。
正直言ってくやしい。5回目くらいからいろんなことが繋がってきたし、学生たちの出すコメントも次第に質が上がってきて、準備するのが(しんどいけど)楽しくて仕方なかったのに・・・
今日の「言語の否定性」のとこなんか、たぶん説明不足でよくわからなかったのではなかろうか。
まあ、来年度の「メディア環境論」の「原論」のところで、今日しゃべりきれなかったポイントを再度取り上げることにしよう。二年生用の講義なので現二年生は出てくれないかもしれないけど。
03/01/28(火):Jiro先生の言う通り
jiro先生が日記で書いているように、年度末こそが真の師走である。走るand/or睡眠時間を削ることで、かろうじて「お仕事」をこなしているのが私の実状である。
今、ようやく明日の午前中の講義と試験に向けての解説の準備ができたところだ。
やっと帰ることができる。おやすみなさい。
03/01/25(土):寝るぞ
一ヶ月で約300アクセス、自分の分を除いて、一日約9アクセス。と書いたとたん、カウンターが回り始めた。この二日間は一日ほぼ30アクセスくらいある。その間新たにURLを教えたのはたった二人。ダウンロードコーナーもまだ本格的には稼動していないし、相変わらず検索サイトにもいっさい引っかからない。学部のホームページからは「もちろん」のこと、中橋さんのホームページを例外として、他の個人のホームページからも一切リンクされていない。インターネットの世界では、このホームページは、一本の細い地下通路(中橋さんごめん)を通して外界から辿りつけるに過ぎない。つまり、現時点では、フィジカルな世界における私のパーソナルな関係によってのみ外部につながっているという、およそWEBという世界観(にしてその構成原理)に反する存在の仕方をしているのだ。なのになぜ?
うれしいけど謎だ。
ここ二週間ほどセンター試験の監督を挟んで、ずっと睡眠時間が四,五時間だ。さすがに疲れがたまってきた。センター試験が終わった日に、散髪屋に行き損ねて(試験が終わってから研究室で一服したのがいけなかったのだが、まさか長崎では六時半に受付終了だとは・・・・)、髪の毛もばさばさだし、顔色も悪い。
響一郎と朝佳音には気の毒だが、お父さんはこの週末はひたすら眠るからね。
03/01/24(金):好きですセクシーギャル
昨夜官舎に戻り、一風呂浴びて、ワインをチビチビやりながら、ゼミで取り上げた記号論についての学生たちの発表を思い出しているうちに、下のような「日記」を書きたくなった。しかし、その時点で多少酔っぱらっていたので、アップロードした文章は打ち間違いだらけだった。以下の文章はその改訂版です。
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上野千鶴子の処女作(上野自身はあとがきでさらに二文字付け加えて五字熟語で呼んでいるが)『セクシーギャルの大冒険』は今読んでも十分に面白い。優れたテクストは年月を経るに連れて新しい読み筋を時熟させ、前景化させてゆくものだから、それは当然といえば当然なのだが、この本が今日でも際立っておもしろい理由はさらに二つある。
一つは、『大冒険』が出てから約17年経ったが、その間(少なくとも私にとっては)この本以上に切れ味の鋭い文化の記号論的分析がまとまった形では出てこなかったことにある
。
(上野の「宿敵」ウチダさんの映画記号論(特に『エイリアン』論:『現代思想のパフォーマンス』&『女は何を欲望するか』)は、可能態としてはそれに対抗できると思う。しかし、徹底した資料収集と執拗なまでにねちこい「読み」という点で、通読しての読み応えに関して言うと上野の仕事の方が私の好みだ。ウチダさんの「パラサイト」でもある私としては、次なるウチダ映画記号論で、上野を真っ青にさせるような展開を見せていただきたいと切に願っている)。
私や西條くんやKonchanは、山口昌男&中村雄二郎の『知の旅への誘い』を大学受験のための必読書として手に取った世代である。仮にこの本それ自体いを読んだことはなかったとしても、模擬試験や通信添削や予備校のテキストや入試問題の素材としてこの本の抜粋に触れたことは一度くらいはあるはずである。あの当時、『誘い』を筆頭に、彼らのテクストは全国の大学入試問題に頻出していたのである。(たしか共通一次にも出題されたのではなかったろうか)
だから高校3年の頃の私は山口や中村こそがスタンダードな学者だと信じていた。そして大学に入ったら、まず彼らの本を読み、次いで彼らが引用している人の本を読もうともくろんでいた。そうすれば知のスタンダードというものを手に入れられるとまじめに考えたのだ。
しかし、大学生になって中村の本を読んでみたが、ちっともおもしろくなかった。間違ったことを書いているとは思わなかったが、ピンとくるところも全くなかった。
それに比べると山口の仕事、とりわけ『文化と両義性』は刺激的だった。私たちよりももっと前の世代の(中の相当な数の)人たちが、マルクスを読み、この理論によって世界の全てを説明できると信じたように、(少なくとも)私は記号論によって、自分の生活世界の全てを読み解くできることができるかのような高揚感を味わった。
しかし、すぐに気が付いたのは、記号論は理論としては非常に魅力的だが、それを使って具体的に何かを分析するとたいてい陳腐な結果しか出てこない、ということである。
バルトの『神話作用』も読んでみたが、篠沢訳というフィルターを通して垣間見たバルトというのは、あまりおもしろそうに思えなかった。(私が『神話作用』が優れた書物であると初めて実感したのは、ドイツ語版を読んだときである)
そんな時期に出版されたのが『大研究』であった。上野は当時、平安女学院という京都の小さな短大の助教授だったが、この本が出て半年も経たないうちに、社会や文化系統を専攻している大学生で彼女の名を知らない者はいない、という状態になった。(塩原勉先生も、「品はよくないが、京大社会学科始まって以来の才能」とほめいてたし)。続いて世に出た『構造主義の冒険』もなかなか切れ味の鋭い本だった。特に聖と俗の弁証法について書いた章は、山口よりもはるかに精密であると私には思われた。そういうわけで私は『大研究』や『冒険』を読むことで記号論的分析の真の面白さを知った。
この本が今読んでも面白いと思える3番目の理由は、最近の上野の仕事があまり面白くないことである。特に、フェミニズムの視点から文学テクストを読み解いたり、構築主義の論文集の編者をしたりしているときの彼女の文体は、『大研究』や『冒険』の頃にくらべて遥かに説教くさく、張りがない。というか、相手が小説家であれ、若手研究者であれ上野のまなざしは「査定する人」のそれになってしまっているのである。
とはいえ、そのことは『大研究』の価値をおとしめるものではない。記号論なんてもう古いというのは勝手だが、それだったら、『大研究』よりも面白い記号論的分析をやってからにして欲しいものである。(記号論が一過性ものだと見なされがちなのは、「じゃあどうしろって言うんですか?!」という問いに対して、当の記号論者の方では、「答は記号論的分析それ自体の中に書かれてるじゃん」という答ですませてしまうところにあるような気がする。その点、構築主義なんてずいぶん「啓蒙的」だ。ね、上野先生)
というわけで、前回と今回のゼミでは記号論をやってみた。みんな結構苦労していたようだが、多少はひねた(@西條匡)ものの見方ができるようにただろうか?(素直な学生ばかりを前にして、取り上げる勇気がなかったが(私は小心者なのだ)ウチダさんの『エイリアン』論もぜひ読んでみるといいよ。)
03/01/23(木):仮営業一ヶ月目
仮営業の案内をとりあえず3人の「お友達」に送ったのがちょうど一ヶ月と一日前だった。
昨夜300アクセスを越えたところなので、一日平均のべ10人の人が訪ねてきてくれた計算になる。といっても自分自身もPHSの圏外にいた四日間を除いて、毎日アクセスしていたから、まあ、一日9人というのが正確なところだろう。
ゼミ生たちと親しい「お友達」にしかこのホームページのことを知らせてなかったし、検索サイトにも一切登録していない/されていないので、この仮営業サイトを訪ねてくれた一日9人の方々は、とても義理堅い人たちだということになる。
建てかけのマンションがモデルルームだけを公開しているような段階の頃から、訪問してくださったみなさまには心より感謝いたします。
時間をちょこちょこひねり出しては、コンテンツの充実に励みますので今後ともよろしくお願いいたします。
03/01/23(木)0:次の壁はCGIか
今日一日何をしたのかにわかには思い出せない。なんだかとても忙しかったことだけを体が憶えている。あ、そうか。午前中は卒論を読んで赤を入れ、午後は院の講義の後、志氣君の卒論指導、その後、宮崎さんと卒論執筆スケジュールの練り直し、引き続いて志氣君と一緒にCGIの設置作業。と、ここまではよかったのだ。たぶん。その後、自力で「ゼミのカレンダー」を手直ししようとして、無謀にも自力でCGIファイルを書き換えたところから転落が始まったのだ。とはいっても、パソコンをいじってばっかりもいられないので、気持ちを切り替えて、東谷君の卒論の続きを読み、その後、卒論指導。終わったらもう日付がとっくに変わっていて、それから、CGIの手直し作業を再開。
なんだかんだいって、パソコンに振り回されているなあ・・・
03/01/22(水):火曜はきついよ
火曜日はやはりきつい。来年度から一日三コマの日がなくなるのはとてもうれしい。
極楽湯の鏡で久しぶりに自分の顔をしげしげと観察してみると、なんともくたびれた表情をしている。電気風呂+マッサージチェアも二セットやったし、今日はぐっすり眠るとしよう。
03/01/21(火):自力更新に成功!
今日は、「言語環境論」の講義ノートや受講生諸君のコメントを入れたファイルが行方不明になり、三時間以上も研究室内を探し回るという失態を演じてしまった。
人一倍ものを置き忘れたり、なくしたりしやすいくせに、あるはずのものがなくなると、人一倍落ち着かなくなるというのは、私という人間の矛盾を端的に表しているのかもしれない。
こういうことになるのも研究室内がほとんど極限まで散らかっているせいだ。(官舎の寝室なんかもっとひどい・・・)
本当は、本は整然と並び、資料はきちんとファイリングされ棚に収まり、机の上には塵一つないという状態にあこがれているのだが、実際にはそれが実現できないどころか、その逆方向に向かってまっしぐらである。これもまた矛盾である。
そもそも私という人間が一時間もいるだけで、既にその場が散らかり始める。生野先生や戸田さんの研究室を見るたびに、「おれはもっと整然とした研究室を目指すぞ!」と決意し、奥先生や連先生の研究室に足を踏み入れると、部屋の中の全てがタテヨコ直角に並んでいる光景に限りないあこがれをおぼえるのだが、結果としては、どう見ても「生野-戸田派」である。いやそれよりひどいかも。
昨日までは志氣君に更新をお願いしていたのだが、同君にあれこれ教えてもらい、自分でもちょっとは勉強し、試行錯誤の末、なんとか研究室のマックからホームページを更新する体勢が整った。試しにトップページをいじってみた。トップページを入れ換えるのは、「カウンターがゼロになったらどうしよう」という懸念があって、ちょっと恐かったのだが、うまく表示されて一安心である。
自分で言うのも何だが、一週間前の自分からはとても想像できないほどの進歩である。
マックに512MBのメモリーもおごってやったし(ちなみに完全に一人でメモリーを増設したのも初めてである。というか、購入したときに生協の人に教えてもらってメモリーを増設して以来、中を開けてなかった)、デジタルライフの方は次第に充実してきた。
「第二研究室」も次第に軌道に乗り始めたことだし、明日からは(本当の本当に)本業の方に力を入れよう。
03/01/20(月):やっと終わった
センター試験無事終了。一昨年に比べると楽だったが、それでも最後の二時間くらいは、体が重かった。なんせ、各試験室で一分と違わず試験が開始し、終了しているかどうか事務官に監視させ、何秒ずれていたか報告させてるんだから(この副文の主語は誰でしょう?)、開いた口がふさがらない。そこまでやりたいんなら、各教室に電波時計を設置するとか、チャイムを鳴らすとかすればいいのだ。どんなにグロテスクなことでも「規則を厳格に運用するためです」という呪文によって自己との関係を中性化してしまえる人間は幸せだ(まじに)。
昨日に引き続いて、大学入試センターを初めとする文部科学省系の「独立行政法人」の集合的無意識について考えてみた。しかし、今はとても眠くて、それを詳細に書く元気がない。
一言で言えば:
<教育産業>にとっては、学力/学問力は下がろうが、上がろうが、問題ではないのだ。下がれば「改革」のための称して、組織を改編しつつ巨大化すればいいのだし、上がれば上がったで、この方向をさらに加速するために、さらなる予算をつければいいのだ。
欲を言えば、学力/学問力は、低下すると同時に向上するのがベストである。センター試験制度を維持・拡充して学生をスポイルしつつ、FDと称して授業の評価と改善の仕組みを作り上げ、COEと称してごく一部の大学院に資金を投入して国際的に通用する研究成果を上げさせると同時に、その他の大学の研究機関としての体力は奪っておくのだ。
つまり、ダブルバインドこそが<産業>のエネルギー装置なのだ。
03/01/19(日):またやってしまった
センター試験一日目終了。
今回は、試験監督の班分けに救われた。三人で一つの教室を担当するのだが、チーフの池永先生がとても「柔軟」なので、実効性のない儀式を最小限にできた。(とはいっても、監督マニュアルに書いてあることは全部やったので非難されるいわれはない)
今翻訳しているDürrenmattは、傑作『天使がバビロンにやってくる』の続編として、「誰もがこんなことは止めた方がいいに決まっていると思っているのに、どういうわけか塔の建設は続けられ、ついにかの言語の乱立と相克が始まった」という戯曲を書こうとしていたそうだが、今日何人かの同僚とセンター試験について話をしたところでは「何でこんな仕組みを作ってしまったんでしょうかね」という意見が大半であった。大学入試センターとはバベルの塔みたいなものなのかもしれない。
試験監督は始まりと終わりが忙しいだけで途中は暇なのであれこれ愚にもつかないことを考えてしまう。というか、それ以外にすることがない。
で、思ったのが、
「子どもたちや学生たちの学力が低下し、学校の教育力が疑問視されればされるするほど、大学入試センターを筆頭にした<教育産業>コングロマリットは、その存在意義が問われる」と考えられがちだが、実はその逆ではないのか。つまり、学力低下こそが、<産業>の衰退に歯止めをかけ、それどころか肥大化への口実を与えるのではないか。だから、表向きは学力向上を組織の目標にかかげていても、<産業>自身も気づいていない真の関心=利害のレベルでは、学力の低下こそが願望されているのではないか。
といったことであった。この問いがそもそもきちんと立てられたものなのかを、頭の中で検討しているうちに試験が終わってしまった。とりあえず、そう考えた方が、「どうして共通一次の反省をもとに、本格的な筆記試験を行うという方向(これは「地方<大学>分権」の方向だ)に向かわず、私学まで巻き込んで、さらにバベルの塔を高くする方向へと舵を切ったのか」をうまく説明できそうな気がする。
池永先生のおかげで、一昨年よりは疲労が少なかったとはいえ、なんだか腰が重くなったし、ストレスもたまったので、試験が終わってから、ヤマダ電機に行ってFireWire接続の外付けハードディスクを衝動買いした。
おかげで一時的にストレスは解消されたに見えたのだが、大学に帰って接続し、さっそくハードディスクのバックアップを試みたところ、ほとんどUSBと変わらないくらいに遅かった。1GBコピーするのに一時間以上かかってしまい、しびれを切らしてちゅうだんしてしまった。そもそそもUSB2が標準になったらFireWIre=IEEE1394接続の周辺機器が入手しづらくなるんじゃないかと思ったのも購入の理由だったのに、これでは何の意味もない!とショックを受けた。
そのときはたと気づいたのは、最近のUSBのフラッシュメモリーによくあるようにウインドウズ形式のフォーマットを単にマックにも読ませているだけなのでは、ということであった。「情報」を見てみたら案の定であった。
で、フォーマットを「MAC OS 拡張」にしてみたら、書き込み速度が驚くほど速くなった。箱にもマック用のマニュアルにもフォーマット済みなので、初期化なしで「つないですぐ使えます」と書いてあったが、それは「使えないこともない」というくらいの意味だったのだ。
これで立ち直った私は、「最近どうもマックが重いなあ」と感じていたのを思い出し、ついつい、デスクトップファイルの再構築やら、デフラグの解消やらに手を出してしまった。しかも、『マックティップス』に乗っていた隠し技でその再構築をやってしまった。
再構築はちゃんとできたのだが、機能拡張マネージャーのコントロールパネルがどこかに消えてしまった。あせって探してみると、勝手に「使用停止」になっていた。
そんなことをしているうちに、日付も変わり、昨日の誓いを早くも破ることになってしまった。
03/01/18(土):そろそろ本業に戻らねば
ここ数日、授業や会議のない時間のかなりの部分を、ホームページの本格営業に向けての、HTMLを使った新コンテンツの試作、素材の収集、必要なソフトのダウンロードなどに費やしてしまった。それはそれで悪いことではないが、本業がおろそかになってしまったことも否定できない。
年度末であれこれ季節ものの「お仕事」もあるし、ゼミの調査データの入力(あ、そうかだったらエクセルの使い方もちょっと深めないといけないな)、翻訳、自分の論文の仕込み、卒論の「赤ペン入れ」等々、数え上げたらきりがないほどやりたいこと/やらねばならないことがある。
この場で誓っておくが、明日からは私はアカデミックモードに切り替えて、パソコン関係は、必要最小限にとどめることにする。
明日、明後日はセンター試験の監督だ。日本全国一斉に一分たりとも違わず試験を実施するというのだから、末端の監督者にかかるストレスは相当なものである。
確かに、「真の学力」とセンター試験の成績には正の相関関係があるとは思う。しかし、そのことはセンター試験という制度の正当性を保証するものではない。なぜなら、物理系なら物理系、人文系なら人文系といった感じで学問分野をいくつかに分けた上で、(小論文などではなく)データや文献の読解とその分析を文章にまとめさせれば(分量にして4000字くらいだろうか)、その成績と「真の学力」との間にはもっと高い相関関係があるだろうからである。少なくとも、優れた卒論を書く能力に関して言えば間違いなくそうだ。
「真の学力」を持った生徒にとって、センター試験で高得点を叩き出すことはさほど困難ではない。だから見かけ上、「真の学力」と「センター試験」の間にも擬似的な相関関係がでてくるというだけのことだ。
それでもこの制度は当分続き、「独立行政法人大学入試センター」は肥大してゆくだろう。「真の学力」の低下を構造的に引き起こしながら。
03/01/17(金)01:30:53,うむらうと
さて、おわかりか?
Schreiben heißt: sich selber lesen.
Eigentlich ist mir als wäre überhaupt nichts geschehen.
むろん、ドイツ語の意味がわかったかと訊いているのではない。
ドイツ語の特殊文字がきちんと表示できているのに気づいていただけたでしょうか、と訊きたいのである。
英語以外の言語を母国語とするパソコンユーザーにとって、文字化けは頭の痛い問題である。
例えば、日本語のフォントでドイツ語を打とうとすると、
In diesem Kapitel wird er嗷tert was f殲 Erfahrungen des Erz撹lers durch Fiktionen in Fiktion vermittelt werden.
といった具合である。
私がマックユーザーとなった理由の一つは、ナイサスライターというワープロソフトを使うと、この文字化けを半自動的に正しく修正することができるからである。
え、「私は日本語を母国語としているが日本語の文字化けに出会ったことはありません」って?
それはあなたが日本語版のOSを使っているからです。外国に行って日本語版じゃないOSで、日本語のホームページにアクセスしてみれば、私の言いたいことはすぐにわかっていただけます。
ちなみにスイス時代、日本からパワーブックを持って行ってはいたものの、共同の電話だったし、電話のジャックの形も違っていたので、メールのやり取りや、ホームページの閲覧は大学のコンピューターでやっていた。
日本語のインプットメソッドがインストールされていないので、当然のことながら、日本語でメールを書いたり、表示したりすることはできず、仕方がないので、ドイツ語がわかる人とはドイツ語で、英語ならわかる人とは中学生並の英語で、どちらでもない人とは石川啄木風にローマ字でメールをやり取りしていた。当時、妻には今とくらべると相当まめにメールを送ったが全てドイツ語で書いた。日本にいた時にはメールなどやっていなかったので、メールというのはそういうもんだと思っていた。(それによってドイツ語が上達したということはまったくなかった)
日本語で書かれたホームページにアクセスしても文字は全て、奇怪な欧文特殊文字に化けてしまい、画像くらいしか見ることができない。タイガースの躍進ぶりを確認しようと、阪神タイガースの公式ホームページにアクセスしても、野村監督のにやけ顔だけしかきちんと表示されなかった時には本当に悲しかった。
というわけで、ドイツ語の特殊文字をブラウザ上できちんと表示するのは大変だろう、と長らく思っていたのである。
しかし、10進数表記というコードを使うと、この問題は割と簡単にクリアーできることがわかった。とはいうものの、昨日の時点ではどういうわけか、普通のページではうまくいっても、掲示板の内部では文字化けしてしまっていた。それを避ける方法がわかったので、ちょっとうれしくなって、上のドイツ語を書いてみたのである。
とはつまり、私は少しずつHTML言語をマスターしつつあるということである。
フランス語をマスターするよりもはるかに簡単そうである。
<答>
書くとは、自分で自分を読むということだ。
結局のところ、何も起きてはいないかのように私には思われるのだ。
03/01/15(水):日記形式で書くこと
私が応援しているサイトの一つに中橋誠さんのホームページがある。先日、なにげなく思いつきで、「誠のマコト日記」のページを作ってはどうか、と書いたところ、さっそく日記ページが設置されていた。
日記形式で書くというのは、論文を書くのとも違うし、小説を書くのとも違う。手紙を書くのとも違うし、メールを書くとのも違う。誰に向かって、どのような形式で書くのか、という外枠が、書かれるものの内容や、そこに現れる「内包された書き手」のパーソナリティをも規定する。
私が、『長崎通信』と『「ワタシ」的日常』と『LDS』という三つの私的言説を公開しているのは、こうしたパーソナリティの揺らぎや分裂を楽しんでいるからだ。より正確には、揺らぎ、分裂した「書き手」が現出して初めて自分とは何かということの一端を知るのだ。
フリッシュがただの凡庸な建築家兼ジャーナリスト・作家から、そのテクストをなめるように読み解く研究者が(私も含めて)世界中に200人くらいはいる「一人称の実験者」へと変容したきっかけにあったのは、「日記」という言説のスタイルの発見にあった。
中橋さんの「マコト日記」から現れる「マコトの私」はどのような貌をしているのだろうか。わくわく。
03/01/14(火):台風の目に入った?
火曜日は、1.2時間目がドイツ語の講義で、3.4時間目の間に講義ノートを自転車操業で完成させ、5時間目が「言語環境論」という、一週間で一番忙しい日である。「研究日誌」にも書いたが、9時間くらいほぼフルに身体か頭あるいはその両方を使っていると、さすがに疲れがたまってくる。講義ノートを自転車操業で書いている間に、結構おもしろいアイデアが湧いてくるのだが、それがいつの間にか頭の中から消え去ってしまっている。
まあ、消え去ったもののほとんどは、後からの検証にはたえないような、思いつきに過ぎないのだが、「思いつき」にかなりのウエートを置く研究スタイルを取っている身にはこたえる。
とはいえ、本当ならこの時期はもっと忙しくて、ホームページのコンテンツ作りなどをやっている余裕などないはずである。多少なりとも暇があるのは、ここ10日ほど誰も卒論の原稿を持ってこないからだ。
宮崎さんは「プチ・スランプ」、志氣君は「後3日待ってください」。東谷君は、昨日、「あかねや」で話をしたが、へらへら笑ってたなあ。
となると忙しくなるのは、センター試験が終わった後か?
明日の院の演習も金曜日に延期になったし、今は台風の目に入っているような静けさが研究室を支配している。
03/01/13(月):こまを回して遊びましょ
約30年ぶりにこま回しをした。
先日名古屋に戻ったら、保育園から借り出したコマが置いてあった。響一郎の保育園で流行っているらしいのだが、お父さんと一緒に練習してね、というメタメッセージだと読んだ。
私がこま回しをおぼえたのは、小学校に入ってからだと記憶している。それでも、どうして手首を返さなくてはいけないのかなかなか納得できず、要領をつかめるまでにかなり苦労したような気がする。
保育園の頃はこまといえば、指でちまちまひねって回すもので、傘回しができたらもう威張れるといった程度だった。
だいたい響一郎の行っている保育園は、年長組の運動会では一輪車や逆上がりや竹馬が種目にあったりして、自分の保育園時代に比べるとかなり高度なことをさせている。私は一輪車なんていまでもやったことがないし、逆上がりや竹馬ができるようになったのも小学校低学年のときだ。
ま、とりあえずやってみることにした。
紐の巻き方を忘れていたが、響一郎が教えてくれた通りにやったら、なんとなく手にしっくりきたのでこれでいいことにした。
二回失敗してしまったが、投げる角度を調整して、三回目に成功した。一度成功したら、妙な曲芸に挑戦しない限りは、ほぼ間違いなく成功するようになった。
身体が憶えているといえば、そうなのかもしれないが、なぜ最初の二巻きはきつくしなければならないのか、なぜ手首を返さなくては強い回転が得られないのか、そのためにはどのタイミングがベストなのか、といったことがイメージとしてパッと頭に浮かんでくるので、失敗しないという方が正確である。
(ちなみに響一郎は、こまを水平に投げるということはようやく理解したようだが、手首を返すまでの道のりは長そうだ)
これは四十の手習い一般に言えることだ。確かに単純な記憶力や体力は落ちている。しかし、これまで身につけたこと、およびそこにいたる試行錯誤からのアナロジーで、新しい事物の全体の布置を掴む力は間違いなく上がっている。
現在の職場に来てから、毎年、新しい科目を担当させられてもなんとかこなしているのはそのおかげである。私がとりあえず大過なく(と信じているのだが・・・)講義をこなしていられる理由の一つは、四十(それより少し前だが)の手習いを始めるべき時期に、新しい職場に移ったということが大きいのではないだろうか。大学院を修了してすぐにこの職場に来ていたら、きっとパニックを起こしていたであろう。
にしても、フランス語をなんとかしようと思いつつ、まったく続かないのはなぜだろうか。やはり、記憶力の問題だろうか。しかし、記憶力なら昔からあまり良くなかったはずだ。
しかし、和訳や独訳と対照させながらでもいいから、レヴィ=ストロースやカミュをきちんとフランス語で読んでみたいという思いは強まるばまりだ。本当に四十になったらもういちどチャレンジしてみることにしよう。
調子に乗ってこまを何度も回したせいか、右肩の上部が痛くなってきた。それとも昨日、響一郎連れて『アンパンマンショー』に行ったとき、客が多すぎて立ち見でも人の頭しか見えないので、しかたなくショーの間ずっと22キロの響一郎を肩車していたせいだろうか。
(私は目の前の親父の頭が邪魔になって舞台が見えないので、「しかたなく」斜め前のお母さん(らしき女性)のうなじを眺めていた・・・)
やはり体力は確実に落ちているのだ。
03/01/09(木):「反省」
年が改まって、最初の演習+研究発表会。風邪が流行っていて、欠席者が二名いた。二名の欠席者が出たのは、葉柳ゼミ史上初めてである。聞くとことでは、インフルエンザよりも質の悪い風邪が長崎県地方で猛威を振るっているらしい。(江湖さんがずっと寝込んでいるくらいだからね)
正月気分が抜けきらないのか、「レポート改訂版」を出せなかった人が過半数を占めている。三年生諸君がどう思っているのか知らないが、こうした結果になることは、冬休み前から予想していた。だから別に怒っているわけではない。というか、「またもや出せなかった」ということに対して反省的(reflexiv:どういう意味で使っているのか分からない人は哲学事典を引いてみましょう)思考を働かせることに今回の企画のポイントの一つはあるのだ。
先生ではなく自分自身でレポートの締切を設定してるのにそれを守れない、という「失策」から、何を学ぶかが問題なのである。今、この「失策」について「反省」(くどいようだが、日常会話における<反省>とは微妙に意味が違っているので要注意)しておけば、一年後の今頃になって、お風呂にも入らず、ノーメークで、髪の毛を振り乱して、パソコンに向かい、ゼミ室の「紫ソファ」の上で夜を明かす、といった事態に陥らずにすむのである。
でも来週には出してよ!
「反省」で思い出したが、「批判」、「非難」、「いちゃもん」(「筆誅」?)とか、「検討」、「検証」、「実証」、と「確認」、「例証」、「傍証」等々の区別をきちんと付けていない人はとても多い。
(質問:「先行研究を批判的に再検討する」ってどういう行為なのでしょうか?)
学生だけではなく、研究者やジャーナリストの書く/語るテクストにおいても、明確な使い分けができてない場合が少なからずある。日常会話のレベルでは区別していなくてもさほど支障はないのかもしれないが、文章を書いているときにそれらの概念を混同するのはいただけない。混同してるってことは、自分が今何をしているのかちゃんとわかっていないということなのだから。
え、この表日記は何かって? うーん。やっぱり「いちゃもん」ですかね。あまり学問的じゃないし・・・
03/01/07(火):しんねんのちかい
※以下は、1/5の日記を多少手直ししたものです。N県N市せーぎ小学校の物語をシリーズ化することにしたことに伴う改訂です。「事実をありのままに」書くより、きっとよくわかるはずです。え、何がって? それは読んでのお楽しみ。
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またもやPHSの圏外に出てしまった。実感で言うと、「市」と名のつくところから数キロ離れるともう圏外だ。NTTはPHSについて今後どういうヴィジョンを持っているのだろう。
三人の方からリンク集が便利だという感想をもらった。神戸の旧友、山内君などはさっそく多いに活用してくれているそうだ。山口の仙人、西條君へのメールでは書き忘れたが、このサイトに「第二研究室」という命名をしたのは、自分の教育・研究活動をより円滑に行うための作業場としてこのサイトを機能させようとおもったからである。自分にとって便利なリンクは、当然、ゼミ生たちにとってもそうだという確信があった。さらに広く文系の知に関心のある人にとっても、私に便利なもののかなりのものは同じく便利だろうと予想したのだ。三通のメールによってそのことが裏付けられたようでうれしい。
ぼくのしんねんのちかい
1.かいぐいをしない
2.はやねはやおき
3.ふひつようなけんかはしない
4.じをていねいにかく
5. しゅくだいはきちんとやる
03/01/03(金):名古屋名物
針名神社に初詣に行く。道案内は響一郎と朝佳音だ。名古屋場所があったときに「おすもうさんが練習をしていて」それを見学に行くというのが保育園の年中行事の一つなのだ。親の方でもだいたいの場所は把握していたが、それらしき参道などおよそ見当たらないので、要所要所では二人の保育園児の記憶が頼りである。が、住宅地の細い路地や畑の中の畦道を通りぬけ、さしたる遠回りもせずに無事到着。
せいぜい二十人ほどの参拝客(つまり熱田神宮のようなメジャーなところを避けた人たち)がひっそりと新年の安全や金運や学業成就を祈っているのかと思っていたら、さにあらず。鳥居から拝殿まで150メートルほどの参拝客の列ができていた。皆さん行儀よく並んで少しずつ前に進んでいく。さすが名古屋人だ。割り込みをする人などいない。
神社の森が深いのが気に入った。大都市の区部(名古屋市天白区)にあるとはとても思えないほどの広がりだ。まあ、郊外に出ると、森好きのドイツ人やスイス人でも納得するほどの、雑木林が残っているのが名古屋のいいところなのだが。単に名古屋が田舎であるだけ(というか、日本第三の都市の地位を守るために(守れていないが)周辺の田舎も「名古屋市」に編入しているだけ)とだも言えるが、その雑木林のかなりの部分が市有地で、広大な公園として市民に対して開かれているのは、単なる田舎とは決定的に違う。
大阪には公園というものがそもそも例外的なものとしてしか存在しない。山口でも、富山でも、長崎でも、市民が自由に散策できる林といったものは基本的には存在しない。山ならある。しかし、それは日常の延長としてあるものではない。そしてこうした都市の公園というのは必要以上に人為的な空間である。山口の「維新公園」や長崎の「平和公園」を散歩しても、あまり楽しくない。
チユーリヒで暮らしていた頃、大学の前の道をブラブラ歩いていると自ずと湖の岸辺にたどり着いたし、借りていた部屋から十分もゆけば森の静けさの中に身を置くことができた。(ちなみにチユーリヒは衛星「町」と合わせれば100万都市である)。無論、こうした森や湖は決して原初的な自然ではない。文化の中にその位置を与えられた「人為的な自然」である。ベビーカーを押して歩ける湖岸や杖をついた老人が気軽に散策できる森は当然のことながら自然そのものではない。しかしそれでも、<文化>と<自然>が相互に規定しあっている(というか支えあっている)ということを日々の生活のちょっとした隙間に確認できる森のある都市の方が、<文化>の成熟度も高い。
そういう意味では、私の知る限り、日本の中で名古屋は稀有な都市である。雑木林の中に細い道が延々とつづいているだけの「公園」が郊外に散在しているのだから。
しかし、「東京と大阪にあるものはなんでも欲しがる」名古屋の為政者たちはそのことをまったく認識していないようだ。彼らは中部国際空港といい愛知万博といい、そのための道路や施設の建設のやり方といい、東京や大阪のやりかたを、さらに極端な形で押し進めているだけである。愛知万博が「自然との共生」をウリにしているのは悪い冗談だと言うより他ない。私は絶対に行かんぞ。
03/01/01(水):おくればせの反省
年が明けてしまった。しかし、日が上るまでは気持ち的には大晦日だ。
一年を振り返って特に後悔することはない。とはつまり割といい年だったということだろう。
むろん反省すべきことは多々ある。仕事が終わって帰宅する途中で買い食いする癖がついたこととか、スケジュールがちょっとタイトになると事務関係の書類の提出を忘れてしまうこととか、会議の場で馬鹿げた発言をする相手に対してとっさにその馬鹿さ加減を指摘してしまう癖が直らないとか、数え上げれば切りがない。
公表できた研究成果は、論文1、講演1、学会発表1、マイナーな会での報告2+αといったところである。これは非常勤時代の仕事のペースとほぼ同じである。あの頃より恵まれた研究条件にいるはずなのだから、もう少し仕事ができてもいいはずだ。予定では論文は少なくともあと二本書けていたはずである。
年末に若木先生と話をしたとき(結果として去年最後の同僚とのまともな会話となった)、理系と人文系との論文のあり方の違いが話題になった。
「分野の異なる研究者の学問的生産性を論文の本数で計ることに何らかの正当性があるのなら、いっそのこと、公表した文字の字数かバイト数で比較する方がフェアでしょう。そうすればバイト数で計り売りすれば、我々の論文一本が理系の論文十本くらいにはなるでしょうね。なんたって、我々の場合は通常一人で少なくとも10ページくらいは書くのに、5人のオーサーが2ページのペーパーを発表してそれぞれが論文一本を自称できるのが理系の世界なんですから」、などと論文評価の基準について口角泡を飛ばす私を、まあまあとたしなめながら、若木先生は、「10ページの論文を書くのに、50から100ページくらいは研究ノートを作りますよね。これをどう生かすかでしょう」と静かにおっしゃった。
「50から100」と聞いて恥じ入った私ではあったが、それでも公表されたものの何倍かの研究ノートは作っている。その中には、けっこうおもしろいのだが自分の専門外の要素があってどこまで妥当性があるのかちょっと不安なアイデアとか、あと一つ裏が取れないのでそのままになっている原稿とか、錯綜する論理の深みに沈んでいってそのまま浮上してこなかった考想などが眠っている。それらはそのまま寝かせておくのがいいのだろうか、それとももう一度世に出すために手を入れればいいのだろうか。あるいは年末に「原稿供養」でもした方がいいのだろうか。
学生の指導についても反省はある。専門の講義は相変わらず自転車操業だ。講義ノート作りは楽しいが、どんどんシラバスから逸脱している。
ゼミは個々の学生の学問的ニーズにどれだけ答えられたのかいささか自信がない。2月の文化環境系の卒論発表会でゼミ生たちが充実したパフォーマンスで聴衆を感嘆させてくれるのを祈るのみである。
全学教育の方は、初習外国語が2年間で4単位に減って以来、教育効果が目に見えて落ちてきた。4単位しかしないのなら1年間で4単位にすべきである。これは年明けの委員会で主張してみることにしよう。
全学教育の総開講数が減った関係で、今年度から「文学B」を担当しないことになった。昨年度は「大学中で最も多く全学教育の講義を担当した教官」になってしまってさすがに疲れ気味であった。というかパンク寸前であった。今年度は多少は楽になってほっとしていたのだが、なぜか年末になって、昨年度の「文学B」の受講生から通りすがりに、「おもしろかったので友達にすすめておいたのに、今年はどうして開講してないんですか」とか、「僕が一回もサボらなかった講義は先生のやつだけだったのに、今年はやってないみたいなので、くびになったのかと心配していました」などと心温まる声をかけてもらったことが度々あった。
「文学B」は私が専門的に研究しているナラトロジーが、およそ「テクスト」に分類されるあらゆる現象に通底する問題にかかわっていることを確認するための実験の場であった。自己満足はいけないが、まずは教師がアカデミック・ハイ(@内田樹)を感じることが、いい講義をするための「はじめの一歩」であろう。
一年を振り返ってみると、いやなことは不思議なほどに忘れてしまっている。その都度何らかの形で気持ちの上でのけりをつけるようにしていたのがよかったのかもしれない。だが、どうしても筆誅を下しておきたいことが三つ残っている。どれも、「私はアマには優しいが、プロには厳しい」と「リフレクシヴreflexivな思考ができなくなれば研究者としておしまいだ」と「私は勝ち馬に乗るのが嫌いだが、負け馬に乗っているのに勝ち馬に乗っていると勘違いしている人間を見るのはもっと嫌いだ」の3点にかかわっている。しかし、既に年も明けてしまったことだし、仕切りなおしとすることにしよう。
さあ今日も落ち葉集めだ。
