「ワタシ」的日常(2003年2月)


03/02/28(金):断髪式にGO!


 演劇青年・遥山君が僧籍を取るため、一年間の修行生活に入ることになった。「通過儀礼」の人類学的/人間学的意義を高く評価している「保守的人間」である私は、大々的に同君の「断髪式」を執り行うことにした。こういうことはたぶん我が人生で最初で最後であろうから、華やかにかつ粛々とハサミを入れようと思っている。
 昼間はバタバタしたが「お仕事」をなんとか片づけて、夕方からは今年退官される松田先生の最終講義&パーティに参加した。松田先生とは、「入門科目」といういわゆる一年生向けのプロ・ゼミナールでペアを組ませていただいた。関西で働いていた頃、ドイツ人との「ペア授業」で、あっとおどろく(というか、開いた口のふさがらない)経験を何度もしたので、「理系の先生とペアで演習」というは、文系左派の私には少々プレッシャーであった。
 で、先制攻撃が大事とばかり、授業プランを早々に立てて、先生の研究室にご相談にお伺いした。しかし、ドアを開けて先生の笑顔を見るなり、私の不安は氷解した。(マックユーザーでいらっしゃるのも私をほっとさせる要因ではあった)。その後も何の問題もなく「入門科目」を楽しませていただいた。その後、雑務も含めて、先生と一緒に仕事をさせていただく機会はなかったのだが、今日まで、先生の笑顔は私の「癒し」となってくれている。松田先生、退官されてもお元気でお過ごし下さい。


03/02/28(金):メッセージとしての「C」


 卒業判定会議の資料作りのために、四年生の成績の集計を手作業で行う。文系は、教務委員である私と奥先生が担当である。それぞれの学生の成績表を見て、「全学教育」:2+2+2+2+1+1+1+2+1+1+2+2+2+[……]=38単位、学科基軸科目:2+2+2+[……]、総単位数:142単位=無事卒業、といった感じで足し算をするのである。一通り終わったら今度は相方のやった足し算の検算をする。それが終わったら事務官が予めやっておいた計算と付き合わせて、検算の検算をするのである。
 その間に何が起きたのかは読者の想像に委ねたい。
 今ここで書きたいのはそのことではない。問題にしたいのは成績の評語(A B C)である。無論、教官によってかなりの違いがあるが、ほとんどの科目では一定の割合で「C」が付けられている。ところが、演習と卒業研究に関しては圧倒的大多数の評語が「A」である。
 しかしそれでも、何人かは演習や卒研で「B」や「C」を付けられている。圧倒的大多数は「A」なのであるから、その意味するところは明らかである。成績表をもらった当人たちは、この評語に込められた指導教官からの強烈なメタ・メッセージを読みとることができるだろうか?
 やっとのことで、成績集計を終え、「言語環境論」と「環境政策演習=ゼミ」のレポートの採点に取りかかる。「言語環境論」の方は、一名を除いて、割とよく書けていた(というか私の講義の場合、毎回課題が出るので、それに嫌気がさした人は途中で脱落していく。したがって、最後まで生き残った受講生(21名)のレポートの出来がいいのは当然と言えば当然である)。
 ちなみに「一名を除いて」というのは、「余りにも変」なレポートがあったので、レポートの中の文言をインターネットで検索してみたところ、ある二つのホームページの記述を(フォントや誤字まで)完全にそのままコピペしただけの代物であることが明らかになったからである。何らかの形で大学というものに関わっておられる読者のみなさんはもう見当がお付きでしょうが、毎年のことながら、こういった教官をなめきった行動に出るのは、タダモノ論に身も心も毒された「領域」から来た学生たちである。
 ゼミのレポートは、調査データが出そろったのが遅かったし、前期レポートの改訂版に対する私のコメントもようやく今週になって返却した(ごめんね!)ので、細かいことを言えばあれこれ問題はある。しかし、三年生の段階で400字詰原稿用紙で60枚くらいのレポートを書いている(というか書かされている)わけだし、そのプロセスで何度も口頭発表をし、草稿に私が赤ペンを入れているわけだから(最近は黄色の蛍光ペンも登場した)、不合格になるはずはない。みんなよく頑張っている。後は、就職活動にあまり足を引っ張られずに、いい作品へと展開してくれることを祈るのみである。
 レポートの成績を提出し終わったらもう、八時前だった。さすがに疲れたので、さっさと「極楽湯」にでも行ってまったりしたかったのだが、今年の11月に台湾淡江大学で行われる「文化と環境国際学術会議」の発表要旨をA4一枚にまとめる作業が残っていたので、iBookを携えて河岸を変えなんとか書き上げる。
 大学に戻ってきたら、遥山君が「わびを入れに」研究室にやってきたので、三月の中旬にゼミのみんなで「断髪式」を行うことを無理やり承諾させてしまった。現在の予定では、演劇部の仲間が左半分または上半分を剃り上げた後、ゼミ室に移動して、ゼミのみんなで残りを「きれいに」仕上げる予定である。わくわく。


03/02/26(水):治癒としてのだべり


 前期日程の採点が終わり、今日は比較的ゆったりと原稿書きと翻訳に専念できるはずであった。
 ところが、朝からずっと体がだるく、手と足の指先が冷たくて、およそ「研究モード」からほど遠い状態であった。カレーでも食べれば体温が上がって元気になるかと思って、茜屋に行ったのだが、食後もあいかわらずの状態で、それどころか、腰までズーンと重くなってきた。翻訳をやろうと原書を取りだしても、頭も一向に動き出す気配を見せない。
 状況からして、原因は昨日の採点にあるとしか考えられない。しかし、既に書いたように、私にとって小論文の採点というのは比較的ラクチンな作業である。試験中の待機と採点を合わせると優に9時間は拘束されたが、そのこと自体でこんなに疲れるはずはない。
 採点が終わってから飲みに行ったが、二時間余りしか店にはいなかったし、料理も酒もうまかった。
 二日酔いでもない。二日酔いの人間は、昼食に「チキン焼きカレー+コーヒー二杯」を注文したりしない。
 で、どうしてこんなに疲れてるんだろう?、ということについてマスターとだべっていたのだが、ふとしたきっかけで、連想が次々と湧き始め、症状の由来についての物語が紡ぎ出されていった。連想が開始されるまで私は、語られた出来事のほとんどをすっかり「忘れて」いたのだ。
 すると、不思議なことに、語り終わったとたん、疲労感が嘘のように消え去り、「研究モード」の私に戻ることができた。
 フロイトは精神分析の核心にあるのは、「症状の出現の由来を知るこ」であると言う。

われわれは無意識的なものを意識的なものに変えることによって抑圧を解消し、症状形成のための条件を除き去り、病因となる葛藤を、なんとか解決できるにちがいない正常な葛藤に変えるのです。(Sigmund Freud : Gesammelte Werke Hrsg. v. Anna Freud. Frankfurt a.M. 1999. Bd. 11. S. 451.)
 ついでに言えば、アフリカの呪医たちの使っている技法もこれである。私がマスターに語った起源の物語はフィクションかもしれない、というか必然的にフィクション的要素を内包しているだろう。しかし、この虚構の「私」物語によって、私の症状は消滅したのである。
 セラピストの役割を果たしてくれた茜屋マスターに感謝!である。


03/02/21(金):文化環境講座卒業研究発表会を終えて


 トリを務める発表者が急病で来れなくなってしまったというアクシデントはあったものの、文化環境講座の卒業研究発表会はなかなかの盛り上がりのうちに終了した。
 今年の発表は全体としてレベルが高く、私としても大変勉強になったものがいくつかあった。各発表を独断と偏見で独自に採点していたのだが、10満点中7点以上の発表が7/16もあった。ちなみにもっともよかったのは大崎さん(若木ゼミ)の「外来語と現代の文化環境」だ。これに異論のある人はほとんどいないのではないだろうか。
 葉柳ゼミ生たちも内容的にはなかなか優れたものがあったのだが、研究発表というのはパフォーマンスでもあるので、「時間内できちんと話を完結させる」「ゆっくりとわかりやすく話す」「質疑応答で的を外さない」といった要素も加味されるわけで、そうなるとやはり反省すべき点はあった。(今度からゼミの発表の時も持ち時間を決めてベルでも鳴らそうか?)。まあ、私自身が声が通らなくて、<内気で内省的な人間>なので、研究発表はお世辞にも上手ではない。それがゼミ生たちにも伝染してしまったのかもしれない。(こういうことはよくある。家庭教師をしていたときもそうだったが、二年間も個人指導していると、私の脳味噌のいいところも悪いところも全て生徒に移って/映ってしまう。最初にそのことに気がついたときには慄然としてしまった。)
 で、印象が薄れる前に「研究作法」(速報版)を書いておこう。

1. (さっきからの話の流れからして当然)パフォーマンス的要素を軽視してはいけない。

2. 二次文献や他の人の調査データをパッチワークしてまとめたようなものは基本的には研究とは言えない。(なぜ「基本的には」なのかは後述)

3. 概論書のような研究をやっても退屈なだけだ。テーマを絞って緻密にやった方がはるかに聞き応えのある発表となる。

4. 自分の研究テーマの代表的研究者とその主著くらいはすらすらと(あたかもきちんと読んだことがあるかのように)答えられるようにしておこう。つまり、自分の研究をきちんとマッピングできるようにしておこう。(というか、それなしに「自然」だの「遊び」だのについて論じても床屋談義or酒場談義と変わらない)。

5.(いつも言っていることだが)何らかの点でオリジナリティがないと「研究」とは言えない。どんなに熱心に取り組もうと、「業界の常識」を辿り直しているだけでは、(本人は満足しているのかもしれないが)聞かされる側は退屈で苦痛なだけだ。

6. オリジナリティとは、a.素材・データのオリジナリティ、b.分析方法・装置のオリジナリティ、c.ブリコラージュのオリジナリティからなる。その中の少なくとも一つをクリアーしていれば立派な研究である。

7. aとbについては、いつも言っているので書かない。c.のブリコラージュのオリジナリティというのは、「既存のデータや文献をまとめているのだが、そのまとめ「方」が独自であるが故に、既存データや文献の中に隠されていた新たな「読み筋」を前景化させる」場合などを指している。書いているうちに、これはbの一種ではないかという気がしてきたので、これ以上深入りするのは止めよう。
 言いたかったのは、やみくもに一次データを集めなくても、オリジナリティは出せる、ということである。しかしこれが一番難しいのは言うまでもない。コラージュというのは一つの「職人芸」だからである(@レヴィ=ストロース)。

 
 というわけで、

できるだけ自分の手と足と口と耳と目を使って一次資料・データを集めよう、それが自分のテーマに向かないときは、既存の資料やデータを精密かつ個性的に読み解こう。

と学生諸君には言っておきたい。


03/02/21:あれよあれよ


 先週末、出張に出かける前に、「アクセスカウンター1000のスクリーンショットを送ってくださった方には、<生ワイン>プレゼント」という企画を考えたのだが、それをアップする暇を見つけられないままに出発してしまった。(内田さんや鈴木晶先生なら、サイン本プレゼント、でもやればかっこいいのだが、私の場合、著書と言っても「10人の研究者と共著」みたいなのばっかりだし、やはりワインくらいがいいと思ったのだ。最近、国産の(防腐剤)無添加ワインになら多少は詳しくなったし)。
 どうやら18日に1000アクセスを超えたみたいで、三宮で中橋さんにお目にかかったときに、「1000アクセスおめでとうございます」というお言葉をいただいてしまった。
 この一ヶ月で約800アクセスあったわけで、相変わらず「作りかけ」感のあるこのサイトに定期的に訪問してくださっているみなさまには感謝!である。
 「次にきりのいい数字って何だろうね?」と青木さんに話したら、「それぞれの人が自分の誕生日(ex. 2/21→0221)をゲットしたらプレゼント、というのはいかがでしょう」という提案をもらってしまった。でもこれではプレゼントを連発しなくてはならなくなるかもしれない。かといって、ラッキーセブン(7777)なんかにしたらこれはこれでずいぶん先の話になってしまう。
 みなさまのご提案をお待ちしております。


03/02/21(金):お仕事・マッチポンプ・お仕事


 全学教育科目の採点、成績提出、学生による授業評価取りまとめ、映画上映会の段取り、神戸出張の復命書、出張の「体験記」(6400字)、バスの予約、専門科目の成績提出(一部)、出張中に見つけた本の注文(41冊)、阪大事務に手紙二通、メール9通、科研費の「物品購入等要求書原符」書き、物品校調達について生協購買部と交渉、「第二回小論文講座:履歴書を書こうPart II」、三人の卒論再読&ウリになる箇所チェック&発表原稿と配付資料のまとめ方指示、発表当日用の会場場所案内印刷。
 ふう。以上の仕事を丸一日(昨日の晩から今日の晩まで)かかって片づけた。
やらないといけない仕事をメモ用紙にリストアップして、片づいたものから順番に消していくのは気持ちいい。でも疲れた。
 本当は、神戸出張でお世話になった、山内君、原さん、林先生、三谷さん、内田さん、中橋夫妻へのお礼の気持ちを込めて、神戸日記を書きたかったのだが、今日はこれでおしまい。
 極楽湯に行って寝る。


03/02/19(水):塵も積もれば


 以下は先週最後の日記です。

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 ここのところ、「Lesen.Denken.Schreiben」の方は完全に書き込みがストップしている。もちろんその間、「苦言メール」に返事を書くことで全ての時間を費やしていたのではない。
 文化環境講座の卒研発表会の準備に忙殺されていたのである。去年は、講座の「若手」三人で分担して準備をしたので割と楽だった。ところが今年は、池田さんは東京に内地研究、正本さんはフランスに在外研究なので、なんだかんだいいながらも、結局は事実上、私一人で発表会の準備をすることになったのである。
 主な仕事は、日時の確定、発表者の確定、プログラムの作成、レジュメ集の作成、印刷、配布、掲示、等々である。(こういうとき、「やっぱり○○を変更してください、差し替えてください」といった要望が一番困る)
 今年から、卒業研究のレジュメ集を作ることになったことが仕事を倍加させた。全てのゼミの卒業生が、期限内に、規定の書式を守って、ワードのファイル形式で出してくれれば、この仕事は、原稿のとりまとめから、ダウンロードサイトの開設、最小限の部数の印刷までを、2時間くらいで終えられるはずだった。しかし、締め切りを守らない者は続出するわ、書式は守っていないわ、打ち出し原稿で出すわ、で、結局、私がOCR処理した上で、書式をそろえたり、発表順に並べ替えたりすることになってしまった。
 一つ一つの作業は別にややこしいものではないのだが、塵も積もれば山となる、を地で行く感じで、トータルでかかった時間は予定の何倍にもなってしまった。私の事務処理能力の低さも問題ではあろう。池田さんの才能がうらやましい。
 とはいうものの、一通り準備が整った後の満足感はけっこうあった。
 本来、こういった仕事は教官のやるべきものではないだろう。助手と大学院生が中心になって準備するのが本来の姿だ。教官の時間はなるべく、研究と教育と(広義の)社会貢献と(学部や大学全体の運営に関わるような)行政的仕事に向けられるべきであろう。しかし、現状では、教官がそれを代行するより他ない。そして、やると決まった以上は、たとえ雑務ではあってもできるだけ質の高い仕事をするように、心がけている。
 
 まあ、こんな苦労も、卒業生諸君の充実した発表を聴くことができさえすれば、一瞬にして忘れてしまうだろう。
 

03/02/16(日):なぜフリッシュなのか


 私の学問に対するスタンスが人々をいらだたせるのは、学術論文という言説のスタイルへのこだわり(これを「退避」と取る人はたくさんいる。くどいようだがそれはちがう。)の他に、それがegozentrisch(とりあえず「自己中心的」と訳しておこう)で、相対主義的だというのもあるだろう。
 その通りだ。私の研究の出発点にあるのは独我論的な生の感覚である。社会や集合的なものや、それどころか「他者」さえも、それらを無条件に前提して思考するということはしてこなかったし、これからもしないだろう。
 それは、「社会の名において」何かを語ったり、「他者に成り代わって」何かを訴えたりすることに、常に胡散臭さを嗅ぎ取ってしまうからだ。「正義の人」の口吻に辟易しながら、「いったいあなたは誰に頼まれて、どんな権利を付与されてそんな物言いをしているのだ?!」と何度思ったことか。
 あえて集合的に言えば、私の世代のかなりの部分はこうした身体感覚を共有しているのではなかろうか。そのことで「私たち」は、逆に、上の世代や「正義の人たち」から胡散臭い連中だと見なされてきた。
 しかし、それはちがう。集合的なものや他者を前提にすることはできないということと、なぜ、集合的なものや他者が存在するのか、と問うことは別のことだからだ。それらは確かにあるように見える。それどころか、社会や他者と関係なしにそもそも「私」など存在しないのも確かだ。しかし、そういったものの存在を出発点にはできないというだけのことだ。相対性とか多義性とか多元性といった言葉を知った「近代」人にとって、確かな外部など(とはつまり内部も)存在しないのだ。(言葉は世界を変える)。
 私がマックス・フリッシュに強く魅かれている理由は色々あるが、一つには、この1911年生まれのスイス人が、こうした感覚それ自体を自らのエクリチュールの運動の基調音としているからである。(私が職人の比喩にこだわるのは、フリッシュが建築家であり、職人感覚を常に忘れなかったことと関係があるのかもしれない)。

文学の領域? 社会学が把握できないもの、生物学が把握できないものです。個々の存在、「私」、私の「私」ではなく、一つの「私」、世界を「私」として経験し、「私」として死ぬ一人の人間(die Person)、生物的そして社会的諸条件、全ての中に置かれた人間です。それゆえ、統計の中に含まれてはいますが、しかし統計の中では話題とされない、そして、全体との関連では重要ではない(irrelevant)、しかし、自分が重要ではないということを意識しながら生きてゆかざるをえない人間の描写 ―これこそが、少なくとも私に関心を抱かせ、私には描写する価値があるように思われるものです。人間が経験するものの全て、現実としての、またユートピアとしての、性、技術、政治です。しかし、科学とは違って、経験する私との関連においてのそれらです。(Frisch [1969(Dramaturgisches=D): 34])

生は一人称形式で(in der Ich-Form )生じるのです。 [D 40f.]

もし一人称の人間(Ich-Person)に依るのでなければ、いかにして、概念としては抽象的な疎外というものを描写しうるのでしょうか? [D 41]

フリッシュの方法とそこから紡ぎ出されたテクストへと、

「経験はいかにして言葉へともたらされるのか」

という私自身の問いを織り込んでゆくこと、それが私の目下の仕事である。それはおそらく、一旦は問いを、徹底して「私」の極点へときりきりと追いつめてゆき、しかる後に、他者へと、集合的なものへとつながる、細い、しかしそれなしには「私」など存在しえない通路を見いだすという運動の中で、「語る」「表現する」という行為の総体をとらえなおすという試みとなるだろう。
 (その基本テーゼは、

「<本当の経験>を語るには、嘘を嘘として、虚構を虚構として、しかも、次から次へと語り続けるしかない」

というものである)
 この試みを博士論文として書く、という宣言をするために、私は明日から関西へと向かう。
(FD研修でより効果的な講義のやり方のレクチャーを受け、私の講義のやり方について報告し、ご意見をうかがう、というよりプラクティカルな用件もあるんだけどね。)


03/02/15(土):またまた来ました苦言メール


 さきおとといの日記は、どうも「感じが悪い」ものだったらしい。きのうも一通苦言メールをいただいた。その内容は:

 「あなたは、学生に論文のHow toを教えて悦に入っているようだが、大学教員が学生に教えるべきなのは、そのような表層の技術ではなく、この困難な時代をいかに生くべきかということを具体的に教えるであろう」

というものであった。
うーん、困った。私だって、「いかに生くべきか」という問題を、教師としての自分の仕事の中で等閑に付している訳ではない。「自分はこれからどういう人生を生きたいのか、そのためにはどのような仕事に就く必要があるのか、その仕事に就くためにはこれから始まる就職活動にどのような戦略で臨まないといけないのか、よく考えなあかんよ。でもって、いかにして自分を高く売るのか戦術を立てるべきやな」ということは、ゼミの中で折に触れて言ってきた。(ちゃんとメモしている学生だっていたぞ)
 しかし、「君たちはどう生きるか」という(かつてのベストセラーのタイトルのような)ことを教えることはできない。そんなのはそれぞれの学生の自由だ。
 たしかに、学生たちの生き方のロールモデルとなりうるような尊敬すべきorかっこいい人生を生きている大学教師というのもいることはいる。だからといって、みんながみんなその人の生き方をモデルにすべきということにはならないだろう。
 いずれにせよ、私の生き方はおよそモデルには程遠いものだ。「俺の背中を大きくなれ学生諸君」と力んだところで、「先生、背中が煤けてます」と返されるのがオチだ。
 
 私が教えることのできるのは、まさに今回の苦言の中にあること、つまり、「How」=「型」だけだ。「What」を教えることはできない、というか、すくなくともそれを第一に教えることはしない。
 ここでは、「イデオロギー的なメタメッセージはwhatにおいてではなく、howにおいてこそ有効に、とはつまり前意識のレベルで伝達される」などといったテクスト論を問題にしたいのではない。(それはそれで、私のゼミ生に学んでほしい発想ではある)
 問題なのは、方法論としての「型」である。具体的な「内容」というのはすぐに陳腐化してしまうが、「型」には汎用性がある。基本的な「型」というのは防御と攻撃のバランスが取れた構えとそこからの展開可能性のことだ。これが身に付くことによって初めて、人は身と心の「自由」を獲得する。多少の難題が起きてもなんとか対処できる。
 私がある程度自身をもって教えることのできるのは、広い意味での「知」の領域における「型」である。Whatのレベルでの答えなど知らないことも多いし、そもそもそれを教えることはとても退屈だ。
 「(whatとしての)答が欲しい」と望む学生もいるかもしれない。(実際、「師」の教えてくれるWhatを暗記することが学ぶことだと思いこんでいる学生は多い。そのことを逆手にとって、Howを抜きにして、「明瞭で分かりやすい答」をばらまいて「弟子」を集めている「師」のなんと多いことか)。しかし、私にとっての答えは、あなたにとっての答えではないかもしれないし、私が今答えだと思っていることが明日の私の答えでもあるという保証はどこにもない。Whatは限定的で固定的だが、Howは変容へと、あるいは少なくとも変奏へと、つまり未来へと開かれている。
 (そのためには、まず「織り方の基本」を学ばねばならない。ピカソが若い頃に手がけたデッサンや具象画が、後に彼が徹底的に解体することになる(広義の)リアリズムという芸術のパラダイムに極限まで忠実であったことを思い起こそう。(くどいようだが)「型」のない「自由」とは「カオス」のことである。))
 私は学術論文という言説のスタイルが好きだ。なぜなら、学術論文を書くためのHow=「理論と技法」を身に付け、それを実践すれば、どんなに凡庸な人間でも、知の世界の問いの布置の中に、確実に自らの研究の成果をを織り込むことができるからである。それどころか、既存の織り筋と自らの織り筋との干渉によって、世界が新しい相貌を見せ始めることだってあるのだ。そういった稀な瞬間に立ち会ったことのある人間は、いかなる人生を生きようとも学ぶことを止めようとはしないだろう。既成の口あたりのいい答を心理だと錯視することはないだろう。(それは職業的研究者になるかどうかとは関係ない。つまり、そこで獲得した「型」はどんな生き方をしていようと「使える」はずだ)。
 具体的な例を挙げれば、私の評価では、今年の四年生の卒論には、(もう少しディフェンスを固めて、もっとオフェンスにメリハリを付ければ)学術雑誌に投稿したら採用されるだけのレベルの論点を少なくとも一つ含まれている。つまり、テーマを限定して、そのテーマに関する文献をきちんと集め、批判的に検討し、方法and/or素材のどちらかにオリジナルなものを用意し、「脳-力」の全てを振り絞って考えぬけば、一学生であっても知の世界に確かな足跡を残すことができるのである。つまり、きわめて限定された領域においてかもしれないが、世界でオンリーワンの仕事ができるのである。(これば別に誇張ではない)。この仕事の過程で彼らは一度や二度はアカデミックハイを味わっているはずである。(だよね?) たった四年間で(いや、うちの学部の場合には二年間か)こんな芸当ができるようになるなんてすごいことではないか?!
 (逆に言えば、卒論を書く中でこうした経験を持つことのなかった学生の四年間というのは、単なる卒業証書をための退屈な時間だったということだろう。大学院に入ってもwhatをコレクションすることが学問だと思っていたり、それにすら興味が持てなくて、二年ないし五年間退屈な時間をやり過ごしているだけの人がいるのはどうしてなんだろう?)
 
 まあ、いずれにせよ、こういった苦言メールによって、私にとって「教師であることとは何か」「研究者であることは何か」という、普段は自明しがちな問いについて考える機会があたえられたのは「有り難い」ことである。

03/02/14(金):読者のみなさん教えてください


 昨日の「論文職人」についての日記に対して、三人の読者の方から苦言をいただいた。
一つは、「本音にしろ韜晦にしろ、<自分にとっておもしろければそれでいい>といったスタンスや、<職人的技芸に満足している>のは研究者の甘えであって、もっと<確信的な挑発性・攻撃性を研究者にも期待したい>」というものであった。
 あとの二つはほとんど同じ内容で、「学問というのは真理の探究であるから、それを職人仕事などと一緒にしてしまうのはいかがなものか」とまとめることができる。
 立ち止まって考えるに価するのは無論、前者の方だ。
 現時点での私のスタンスを、前者のメールへの返答として次のように書いた。

 [……]とすると、研究者としての立場なのだが、残念ながら、増田さんの「好きな人にとっては役に立つかもしれない、興味ない人にとってはどうでもよい」という言葉と僕のスタンスはかなり近い。だって、「ホンウスバカゲロウの産卵方法の地域的偏差確認のための標本分類」とか、「マルクスとヴェーバーの著作の物語論的構造の比較」とか、「キルケゴールとカミュにおける<反抗>概念の神学論的差異の文献学的例証」といった研究があり、やっている当人は最高の知的興奮を感じており、かつ、それが学問の世界の問いの布置をほんのわずかだけど決定的に変えるということを確信しているとしても、さしあたりそういった研究に興味のない人たちにとっては単に重箱の隅をつついているだけの退屈なものにすぎないだろう。万人向けのエンタティメントじゃないんだから。
 前にも書いたと思うが、研究者としての自分のスタンスを自分の語彙で言えば:
 「まずもって自分がアカデミック・ハイを経験できること、それが他人にとってもおもしろいことであればもうけものだ」
 同じことを若き上野は:
「私は自分がスッキリするためだけに学問をしている」
と言った。
 そういう契機を持たない研究ならやらない方がましだ。
[……]
 そして、武道にしろ詩にしろ、ある種の型を習得することによって初めて、身体ないし言語表現の創造的自由を実現できる。そのためには徹底的にディフェンスを学ぶ必要がある。学術論文という型もそういうものだと思う。世界中で発表される学術論文の99.5%はそういうものだ。だから、一見したところ地味で退屈だ。その99.5%のなかの0.1%くらいが、あるとき何らかの学問的コンテクストに置き換えられたとき、突然、異常なまでのインパクトを発揮するするんだと思う。[……]
結論からいうと、一見、地味で手堅く見える型の内部で見ずからの可能性をぎりぎりまで探求するという研究の内部からしか、本当の挑発性とか攻撃性は出てこないと思う。
そういった意味での「挑発性や攻撃性」は、専門的なトレーニングを積んだ人間にしか認識することができない。一般人が飛び込み競技を見ても得点の違いがどうやって出てくるのかよくわからないのと同じだ。
 だから、「核心的な挑発性・攻撃性」を圧倒的大多数の研究者に望んでもそれはない物ねだりだと思う。だいたい「挑発性」や「攻撃性」ってそれがあからさまなものであればあるほど「啓蒙性」とほとんど同義だろう。ある学問分野の広告塔として、そういった役回りを引き受ける人は必要かもしれないけれど、山口昌男にしろ、栗本慎一郎にしろ、上野千鶴子にしろ、池内紀にしろ、蓮實重彦にしろ、彼らの仕事の中で10年後に残るのは、広告塔になる前に書いていた、「地味で目立たないが手堅い論文」ばかりなんじゃないだろうか。(立花隆のようなアカデミック・ジャーナリストが挑発や攻撃や啓蒙を売りにしてくれる分には何の異論もないが・・・)
[……]
 教育をきちんとやって、(ジャーナリスティックand/or啓蒙的な意味ではなく)学術的な意味できちんと手続きを踏んだ研究をやっている限りにおいて、何をやろうとそれは自由でしょう、と正直言って思う。ウスバカゲロウについてやろうが、革命の思想をおとぎ話として読み替えようが、神への反抗なのか超越への反抗なのかそれだけを問題にしようが、「反証可能性」さえ確保していれば、別に非難される謂われはない。
 そうでないと、「役に立つ研究をやりなさい」という文部省や(一部の)企業経営者の言説と、「もっと挑発性や攻撃性を」という言説との間の差異も、メルクマールの違いだけで、発想の型それ自体は全く同じということになってしまうだろう。
こういう言い方って甘えなのか? 挑発性とか攻撃性とか、有用性とか実用性とかを前面に出して書く方が、圧倒的に知的負荷が小さいんだぜ。

 飛び込みがマイナースポーツの地位に甘んじているのは、そのおもしろさを広く人々にアピールする努力を怠っているからだ、という批判が一定の妥当性を持っているのと同じように、ある学問が不人気だったりおもしろくないと見なされたりしていることの原因のかなりの部分は、その分野の研究者が、自分の感じているおもしろさを、他の人たちに伝える努力をしてこなかったことにある。私にだってそれくらいのことはわかっている。
 しかし、単なるエンタティメントに堕すことなく、一定の水準の専門的知見を誰にもわかるように書くという技術は超高度なものであって、おそらく、長年にわたる地味で目立たない退屈な研究論文の積み重ねを土台に持つ必要がある。私自身の研究は、まだまだその土台のパーツをおおよそ作ったという段階であって、二三年の内に、(限られた専門的研究者以外には)超退屈な土台作り=博士論文執筆をやろうと計画しているに過ぎない。「挑発性や攻撃性」と研究としての水準を両立するのはまだまだ無理だ。
これって<甘え>なのだろうか。それが<甘え>だって言われたら、私の言う<二流の研究者>の大部分は、大甘ってことになってしまう。ああ、わからなくなってきた。
読者諸賢のご意見を請いたいと思います。


03/02/12(水):論文職人としてのワタシ


 鳴門教育大のロック少年増田さんがHPに次のように書いている。

修論提出前の学生たちの推敲作業につきあって思うのだが、自分が人様に堂々と教育することができる「普遍的な」技能や知識というのは、唯一「学術論文の作法」だけであるようだ。その他、ロック史も分析美学もメディア論も所詮は「好きな人にとっては役に立つかもしれない、興味ない人にとってはどうでもよい」程度のトリヴィアルな知識に過ぎない。オレの大学教師としての存在意義なんてそんなもんだ…

 私にとっても事情は同じである。私の主たる研究対象であるマックス・フリッシュなんて名前を知っている日本人はごくごく希であるし、今翻訳をやっているフリードリヒ・デュレンマットだって日本では全く無名といっても過言ではない。(ただし西欧、少なくともドイツ語圏では二人とも、日本における「龍と春樹」と同じくらいの知名度はある)。ナラトロジー研究にしても、興味のない人にとっては、論理の遊びに過ぎないかもしれないし、それどころか場合によっては、寝た子を起こす言説を生産する迷惑行為ですらあるかもしれない。
 しかし、自分で言うのも何だが、私の論文指導は結構いい線をいっている。(これは必ずしも論文を書くのがうまいということではないが)。私がチョイチョイと論文のバランスを調整しただけで、それまで何を言いたいのかよくわからなかった学生諸君の論文が理路整然としたものに変容する。
 これは別に難しい技術ではない。まず第一に、長きに亘った大学院生活の間、生活費を稼ぐために小論文関係のバイトをせっせとやったことで採点者の視点、つまり、どう書けば点数を稼げるのか、どんな書き方をすればボツにされるのかを見抜く眼差しが身に付いた。受験生の800字小論文を2分で斜め読みして、1分で添削方針を決め、5分で赤を入れコメントを書き込む、という技術をマスターしてしまったのだ。(時給に換算して約5000円の技術である)
 (信じてもらえないだろうが、数年に及ぶ小論文指導の間、私の添削に対して苦情が来たことは一度もなかった。たいていの同僚は、「字が乱雑すぎる」とか「独りよがりな添削である」とか「受験生の心を傷つけるようなコメントはいけない」といった(いかにも私にも当てはまりそうな)クレームを付けられて、仕事を減らされたり、ひどい場合にはリストラされたりした)
 第二に、人文系の大学院生、とりわけアメリカと中国以外の国のことをやっている院生の就職事情が急速に悪化したために、生き残るためには「レフェリー付きの学会誌に投稿しても決して落とされない論文作法」を身につける必要があった。私が学生たちに、「論文の脇を固めろ」とか「ディフェンシヴに書け」としつこく言っているのはこのときの経験に基づいている。
 第三に、二回目の修論をドイツ語で書いたことが実に役に立った。正確に言えば、修士の学生にはドイツ語と日本語でできる限り同じ内容の論文を提出することが求められた。これを日本語換算で80000字くらいやると、どこか不明瞭なところのある日本語は決して正確には翻訳できない、ということが身にしみてわかってくる。そうすれば否応なく、普段からわかりやすい日本語を書くよう意識するようになる。と同時に、他人の書いた文章の不明瞭な点や、不正確な点が、「あ、ここは外国語に翻訳不可能だ!」という心の声とともに瞬時に浮かび上がってくるようになるのだ。
 

 こうして私は論文職人になった。
 

 私はこの「論文職人」という言葉にいささかなりともネガティヴなニュアンスを込めてはいない。先日我が家の電気配線を手直ししてくれた電気工事の技師の方といい、それにつづいてクロスの補修をしてくれた内装屋さんといい、「私がいくら時間をかけてもここまできれいには仕上がらない」と思わせる技術を持っている職人さんの仕事を眺めているのは実に気持ちがいい。話をしてみても皆さらに技量を磨くことになみなみならぬ関心を持っていて、こちらまで「がんばるぞ」という気持ちにさせられる。
 
 増田さんは、「学術論文」に自らの能力を限定しているが、私たちの職人芸は、就職のためのエントリーシートの書き方とか、プレゼンテーション原稿の書き方とかにも応用できる。つまり社会で広く役立つ技術なのである。
 今日、ゼミの三年生たち相手に「履歴書の書き方講座」をやったのもこの芸を少しは世のために役立てようと思ってのことである。
 おそらく、こうした意味での「文章作法」は、大学という教育機関がその「商品」たる学生たちに身に付けさせておくべき「品質」であり、卒業証書はその「保証書」ととして授与すべきものであろう。
 別の言い方をすれば、それに目を通した瞬間、私の右手が赤ボールペンを求めて動き始めるような卒論を大量に「生産」しているようなゼミ(そんなゼミはないと信じたいが)は、<ネグレクトという教育犯罪>を犯していることになるのだ。(この比喩いけば、セクハラは性的虐待だし、アカハラは暴力的虐待ということになろう。あ、そうか、学生を育てるのって、幼児を育てるのと同じなんだ。)

 

03/02/11(火):やはりEs spricht.か?


 二月八日付けの「訂正」の日本語がまたしても<ゆがんでいる>。
私はもともと悪文家なのだが、ある種の職業的訓練によって、いいたいことをできるだけ多く伝えることのできる文体というのを身につけた。しかし、それはいわばメッキのようなもので、喜びとか怒りの情動が閾値を超えると、元に戻ってしまうようだ。
 えらそうに人様の卒論を添削している身としては恥ずかしい限りであるが、まあ、そんな悪文家でもトレーニング次第で学会誌に投稿して「落とされない」程度の文章は書けるようになる、というのは世の悪文学生たちの励みにはなるかも・・・


03/02/10(月):エロスとタナトス


 明け方目が覚めてお茶を飲んでいたら、続いて起き出してきた妻が、「松任谷正隆が、39歳のときにこのまま不規則なミュージシャン生活を続けていたらそのうち死ぬなとおもって、ジョギングを始めたらすっかりはまってしまった」という家庭欄の記事(2003.2.9<日>)を読むよう勧めてくれた。そこには無論、「あんたも寝てばっかりいないで、少しは運動でもしたらどうなの」というメッセージが込められている。というかそういうメッセージそのものである。
 で、その記事を読んでみた。走るということについてはIch habe nichts dagegen . aber....(直英訳 I have nothing against it. but ...)である。
 むしろ気になったのは、記事全体の中では枝葉の部分にある松任谷の言葉である:

僕はずっと好きなことしかしてこなかったから、自分の中で嫌いな時間って基本的にはないんです。

人間誰しも嫌いなことはしたくない。そして私も、興味のあることだけを調べ、考え、書き、(機会がれば)教える、という人生を選択した...はずであった。
 しかし、松任谷の言葉をきっかけに今の自分の生活を振り返れば、嫌いな時間が二つある。一つは長崎空港行きのリムジンバスに乗っている時間であり、もう一つは、現実感とか責任感とか、より正確には反省性(Reflexion)のない連中とつきあわざるをえない時間である。
(こう書いている間に、名古屋空港で滑走路の端に駐機した飛行機からターミナルまでバスに乗せられるとき(これは実にダルイ)、とか、名古屋空港のバス停で人がマスクをしているのに&禁煙の場所であるのに堂々と煙草をふかすサラリーマン風のオヤジに注意をして逆切れされ、携帯でどこからか集められた(「元ヤンキーかあんたらは!」。まあヤンキーは普通、バスを使わないので公共の場所での彼らの行動は目立たないだけだろう。)仲間のサラリーマン(風)に取り囲まれて「機内での禁煙がいかに苦しいか、だから飛行機を降りてバスを待っている間くらい禁煙の場所で喫煙しても他人に文句を言われる筋合いはない」などとくどくど文句を言われたとき等の「嫌いな時間」思い出した。)(そのサラリーマン(風)は、「だったら今から一緒に空港を管理している場所に行ってあんたたちの言い分が認められるかどうか確かめてみよう」と「提案」したらすごすごと引き下がった....しかし驚いたのはそのサラリーマン風が、バスに乗り込むなり今度は堂々と大声で携帯で話を始めたことだ。こんなやつらが同僚にいる会社にだけは勤めたくないね)
 で、「私の嫌いな時間」であるが、現状ではこの二つを避けることは不可能である。前者は長崎県営バスが「リムジン」などとバスの名称だけ立派にするのではなく、せめて「九州号」なみの車種を投入してくれるまでどうしようもない。後者はほとんど、「愚よ愚よ汝をいかんせん」という気分だ。ということはその二点において松任谷は私より幸せだということである。(フリーのミュージシャンというのはハイリスク・ハイリターンの典型のような職業だが、それとの関連でいえば、大学教員などというのはハイリスク・ローリターンな職業と言えようか。ただし、リスクはミュージシャンほど高くないし、リターンが低いというのは(職業に何を求めるかによって違ってくるとはいえ、)収入くらいのものだが)
 しかし、逆に言うと、その二点以外のことは好きか、嫌いではないかのどちらかであるということだ。論文の論理がつながらなくて呻吟するのは苦しいが別にそれが嫌いなわけではないし、学生の指導も疲れるが楽しみもまた多い。我が妻と付き合うのは多少の精神的緊張を必要とするが、一緒にいることによってえられる知的快楽もまた限りない。子供たちといる限り「仕事」は一切できないが、それ以上のものを与えてもらっている。
 
 というわけで、ようやく卒論騒ぎも終わったところだというのに、「就職のための作文講座」を自主開講することにした。
 なにが「というわけ」なのかって? つまり、ポテンシャルはあるのに、現状では履歴書の自由記述欄すら満足に書けないような学生に作文指導をほどこして、各人のポテンシャルからすると妥当な水準まで文章力を向上させるというは結構楽しい仕事なのである。(逆に言うと、ポテンシャルはあるが文章の書き方を知らないがためにエントリーの段階で落とされかねない学生を見ると、うずうずしてくるとういうことでもある。新庄を見ると何が何でも指導してみたくなる打撃コーチのようなものだ)。
 とはいうものの、ようやく卒論騒ぎも一段落したことだし、しばらくは、ゆっくり翻訳でもして鋭気を養った方がいいという考え方もあろう。作文指導をしても誰もほめてくれないが、いい翻訳を出せば、研究業績になるし、運が良ければどっかの劇団が上演してくれるかもしれない。しかし、山内コーチがピッチャーにまでバッティング指導をしようとして「暖かい微笑(or失笑)」を誘っていたように、快楽原則というのは、合理的計算を超える部分を持っているのだ。そうでなければ、「南ひばりが丘」の豪邸に住むまでになった中島らもが大麻やマジックマッシュルームごときで逮捕されたりはしないだろう。
 そして、薬物による快楽に典型的に見られるように、ある種の快楽の背後には死衝動が働いている。ピッチング練習の時間を奪ってまでピッチャーにバッティングの練習をさせるなどというのはその典型的な現れであろう。そんなことをすればチーム全体としては「今年も最下位」に向かう可能性が高くなるのだから。敗北の美学を是とするチームの集合的無意識が山内をコーチに選んだのかもしれない。
 私の「作文講座」もなんだかそのような死衝動に裏打ちされたものであるような気がしてきた。しかしまあ、それはそれでいいのだ。最近の私はけっこうフロイト主義者なのだから。


03/02/08(土):訂正


 2/7と2/8の『日記』に一部間違いがありました。前者は揺れるバスの中で書いたのでキーボードが打ちにくかったのと、その『日記』で問題視されている人たちに対する怒りのトーンをなるべくニュートラルな文体に変換しようとして、手書きなら文字がゆがむところで、打ち間違いをしてしまったようです。
 後者は単なる勘違いです。もう直してあります。
 前者は直すと日付まで変わってしまうのでここに訂正個所を示します。
 始まったのは午後4時15分、終わったのは9時20分だった。
要するに、教官の側では自分が教えようとしている内容を学生がどの程度理解しているのか真剣に把握することを放棄し、学生の側ではこの授業に出れば自分は最低限どのような力がつくのかわからないままに受講しているということである。
 以上です。どうも失礼しました。 。


03/02/08(土):あれはうまかった

 研究発表の後は、後期の打ち上げ。とりあえず「金粉入り有機無添加ワイン」で乾杯(バブリーなのかエコなのかヘルシーなのかよくわからないミスマッチにひかれてこのワインにした)。
 その後でようやくなべの準備に取りかかり、猪鍋とキムチ鍋を食しつつ談笑する。(話題が多少偏向していたような気もするが・・・とりあえず私は気持ちよく食べ飲みしゃべった)
 志氣君の友人、下町研ゼミ生の平尾君の父上が紀伊山地しとめた猪肉は最高においしかった。また食べたいものだ。(平尾君に感謝! 今度はゼミの飲み会に遊びに来てください。)
 満足して午前2時ごろ帰宅し、爆睡する。
03/02/07(金)20:12:27,ふふふ、待ってろよ, 昨日は今年度最後の葉柳ゼミ研究発表会だった。始まったのは午後9時15分、終わったのは9時20分だった。途中で10分間の休憩を2回挟んだとはいえ、約5時間の超ロングランで、ゼミ終了時刻の最長不倒記録をあっさりと更新してしまった。
 私のゼミは通常でも2時間半くらいは続く。ゼミ生たちにも、木曜日はアルバイトを入れないようにと強く言ってある。
 別にだらだらと演習をやるのが好きなわけではない。学生たちも大変だろうが、私だって楽ではない。演習形式のときは150分分の準備をしないといけないし、研究発表のときは、各発表に耳を傾け、終わるや否や、発表内容から将来的に伸びていきそうな芽と、早めに何とかしておいた方がいい芽とを選り分け、全体としてどういう樹形にまとめることができるのかクライアント=学生に納得のいく説明をしなくてはならない。(私が人様に披露できる数少ない芸がこれだ)。当然、居眠りをしている暇もない(眠ってしまいそうになったことは二三度あるが・・・)。だから、90分で終われるものなら終わらせたいと心から思っている。
 しかし、実際にはそうは問屋が卸さない。まず第一に、学生たちに文系の学問を遂行する上での基本的知識や技能が決定的に欠けている。しかも、その主たる原因はどうみても学生たちの方にではなく、学部のカリキュラムと単位認定のあり方にある。別の言い方をすれば、学生たちが持っているポテンシャルと比較して、ゼミに入ってきた時点での彼らの基礎的学術能力はどう見てもの低いのである。
 彼らのポテンシャルそれ自体が決して低いものではないことは、たとえば今年のゼミ生の卒論を見れば一目瞭然である。(春休み中に両者を比較できるようにHPに掲載しようと思っているが)私が18年前に出した卒論の方が(少なくとも部分的には)見劣りするほどである。とすれば、制度の側に問題があると推論するより他ない。
 カリキュラム編制自体が既に学生をスポイルしてしまうという問題については、某所で何回も書かせてもらったことなので、ここでは触れない。(一言で書けば、<「和洋中折衷の幕の内弁当」を二年間にわたって食べさせられることから当然予想される結果>である)
 今回問題にしたいのは、単位の認定に「品質保証」が組み込まれていないということである。いままで日本の大学が、教育面でのアウトプットに関して「製造者責任」をほとんど果たしてこなかったことは、私だって知っている。しかし、「品質保証」をする必要のない教室の授業風景というのは、私の乏しい想像力の範囲でいえば、とても虚無的なものだ。要するに、教官の側では自分が教えようとしている内容を学生がどの程度理解しているのか真剣に把握することを、学生の側ではこの授業に出れば自分は最低限どのような力がつくのかわからないままに受講しているということである。(教官の方でも、学生の方でもそれがあたりまえだと思っているふしがなきにしもあらずなのがつくづく不思議だ。自動車学校だってもう少しちゃんとしている)。
 だから、前提とできる基礎的学術能力があるのかないのかよくわからない状態で三年生の演習を開始せざるをえないし、本来一二年生の間に身につけておくべきことから説き起こすことになるのでゼミが長くなってしまうのである。
 しかし、このようなロングランゼミをやることで、学生たちは驚くほど力をつけるということがよくわかった。さっきも書いたが、今年の卒論がその証拠である。それぞれの学生のポテンシャルがこの2年間でそれぞれの形に開花していったことが手に取るようにわかる。(なんだったら、彼らが三年の四月に書いた文章を公開して卒論と比較してもらってもかまわないが・・・)
 21日は講座の卒業研究発表会である。私はここで、学生たちの研究成果もさることながら、各ゼミの教育力のポテンシャルの方をじっくりと見せてもらうことにする。ああ「楽しみ」だ。


03/02/06(木):リハビリの日々


 リハビリのため『虞美人草』を音読し、iPodで陽水とHomo faberの朗読を聴く。
『虞美人草』を選んだのに深い理由があるわけではない。単に部屋に入って最初に目についた漱石の本が岩波文庫版の『虞美人草』だったというだけのことである。
 私が漱石を読み始めたのは割と最近のことだ。小学生の頃に『猫』と『坊っちゃん』を読み、その勢いで『草枕』も手にとってみたのだが、何がおもしろいのかまったく理解できず、そのまま三〇年以上にわたって、まともに漱石をひもといたことはなかった。
 「漱石はいい!」と心から思えたのは、チューリヒに留学していたときである。留学を始めてから四ヶ月くらいは、『郁文堂独和辞典』と『マックのお医者さん』と日本学科の図書館で時々読んでいた『朝日新聞』以外、ほとんど日本語の書物を読んでいなかった。
 しかし、ある日、突然禁断症状が出て、むしょうに「美しい日本語」が読みたくなって、「何化みつくろってちょうだい」と妻に頼むと、漱石が送られてきたのだ。
(日本に帰りたいとは一度も思わなかったが、明らかに「ちゃんとした日本語」を忘れつつあることを実感していた。(さらに問題なのは、その割にドイツ語が上達しているわけではなかったということだ))
 それから二週間ほどの間、私は、(ナチスのための兵器を製造していたことで有名な)エリコンという下町のカフェで、『虞美人草』や『私の個人主義』をほとんど涙に咽びながら読んだ。
 「女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ。世の中が何故廻転して、何故落ち付くかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展するうちに、自己は何如なる地位を占めて、何如なる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群集を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、固体の粟を
 無論、この一節の「内容」をフェミニズムの視点から批判することもできる(というか簡単だ)。あるいは、ジェンダーのミクロポリティクスをミクロポリティクス全般に敷衍することで、そこに漱石による「言説のアンガージュマン」を読み取ることだって可能だろう。
 しかし、漱石が私を魅了するのは、(少なくとも第一には)その思想「内容」ではない。その文体のリズムや簡潔かつ明晰な論理にこそ私は魅かれる。冗長さのかけらもないスタイル、それが「私の漱石」である。しかもそこには他を圧倒する「色香」もまたあるのである。
 『虞美人草』をぱらぱらと音読したあと、もう一人の言葉のマイスター陽水を聴きいていたらいつのまにか眠りに落ちてしまった。記憶に残っている中で一番最後に聴いたのは「バレリーナ」であった。


03/02/05(水)23:43:36,にしても、である


 にしても、私費外国人留学生入試の小論文の採点&面接と卒論の締め切りを同じ日にするというスケジュールは誰が考えたのだ?
 日程がタイトなのはわかる。
 しかし、卒論の添削だけですでに、三〇年以上にわたって刻み上げてきた脳のしわがだいぶつるつるになってしまっているというのに、それに加えて、日本滞在歴半年から二年という就学生の作文を採点し、その内容について面接するというのは、あまりにも脳細胞がかわいそうだ。
 ちゃんとした日本語ってどんなものだったんだろう? わからなくなってきたぞ。
 今から帰って、漱石でも朗読して、脳のリハビリをするとしよう。


03/02/05(水):正平君ごめん


 私は長らく、世界中で一番のんびりしている人間は、我が院生、正平君だと思っていた。しかし、それは誤りであったことが判明した。正平君=亀は亀なりにマイペースでがんばっているのだということがよくわかったのだ。
 もし早瀬ゼミと若木ゼミの二人がいなかったらと思うと、パソコンの前で一時間20分前を振り返っている今でさえ心臓が凍りそうになる。
 来年は理論的には7人の葉柳ゼミ生が卒論を書く。一年後の今頃はパソコンのキーボードをたたく元気すら残っていないだろうな。
 なにはともあれ、(「無事に」とは決して書けないが)三人とも出せてよかったね。


03/02/05(水):画竜点睛


 いよいよ明日は卒論の提出日である。四年生たちも大変だろうが、私ももうへろへろである。
頭の中では「温泉に行きたいよー、スキーに行きたいよー、野沢温泉が恋しいよー」という言葉がこだましている。とりあえず今晩は今から「極楽湯」に行くとしよう。
 現時点で、卒論の本文はほぼ完成している。後は注と文献一覧だけだ。くどいようだが、注とか文献一覧にまで神経が行き届いていない論文は、それだけで(少なくとも良心的研究者の)心証がぐっと悪くなる。逆に、そういうところで折り目正しくしておけば、本文に対する読みも肯定的になるし、論文全体の説得性も増すのだ。
 なぜならそのような形式にこそ、言葉というものに対する書き手の知的誠実さが端的に現れるからである。
 画竜点睛を欠くような結果にならないように、最後まで細心の注意を払って欲しい。折角、読み応えのある論文が完成しつつあるのにもったいないではないか。


03/02/03(月):しりとりはむずかし


 我が家では今、「しりとり」がブームである。私は大苦戦を強いられている。響一郎、いやそれどころか朝佳音相手にすら・・・
 職業柄勘違いされやすいが、私は頭を使うゲームは全て苦手である。神経衰弱や五目並べに始まって、将棋、チェスに至るまでそうである。知恵の輪も超初心者用以外は外せたためしがない。外せたとしても偶然であって、二度と再現できない。
 端的に言って、先を読むというのができないのである。二手先が限度というのでは、勝負に勝てるわけはない。おおざっぱな読みなら割とできる。だから、囲碁の序盤戦だけは比較的形になる。しかし、結局のところ、細かい読みができなければ、頭を使うゲームで強くなれるはずなどないのである。
 学問というのも、ある意味で、直感と認識と論理と説得のゲームであるから、私が苦手な領域はたくさんある。
 これまで何とかやってこれたのは、囲碁の序盤のような大まかなマッピングは割と得意だし、その対極にある重箱の隅をつつくような作業もやろうと思えばできるからである。(暫定的な)見通しと具体的なデータがあれば、緻密な論証は後付けでも論文は書けてしまうのである。
 あと、出たとこ勝負も嫌いではない、これは自転車操業で講義ノートを作ったり、メモだけを頼りに講義したりしているときの「頭がフル回転している」感覚は気持ちいいし、ロジカルに理解すれば何を言っているのかよく分からなくなる学生の発表を聴いて、その人がが本当は何を言いたいのかを瞬時に把握し、つぼを抑えたアドバイスを披露すれば多少は知的威信を確保できるというものである。(ただし、学界発表では未だにこれらの技を使えない。まだまだ修行不足である)
 というわけで、「しりとり」である。しりとりというのは、極めて単純なルールのゲームであるが、出たとこ勝負ではいつしか窮地に陥ってしまう。それは「ラ行」の罠である。
 相手の言った言葉の最後の音節に、何も考えずに手持ちの音節をつなげていくと、次第に、「ラ行」で始まる名詞が手詰まりになってくる。特に「る」で始まる名詞がそうである。「る」で終わる名詞は多いが、「る」で始める名詞、特に、日本語はとても少ないのである。(子供相手だと外来語を多用するのは反則なのでさらに苦しくなる)
 無論、これは誰にとっても条件は同じである。しかし、もともと「ラ行」には苦手意識があるので、「試合」も中盤になると、「あひる」などと言われた時点で、フリーズ寸前になってしまうのである。頭の中で、「るあ」「るい」「るう」等々と、「る」と他のひらがなを組み合わせて必死になってひねり出そうとするのだが、たいていは徒労に終わってしまう。
 妻などは、それを知っていて、自分が「る」で始めなくてはいけないときは、「ルビー」といった私でも思いつきそうな言葉を「消費」し、そうでないときは、私の番にちょうど「る」で回ってくるような言葉で答える、といった意地悪な技を多用する。
 どうしても「る」で始まる言葉が思いつかなくなって、うめいていたとき、響一郎から、「「ルパン三世」があるよ」と教えてもらったときは本当に情けなかった(ありがたくもあったが)。(その他、疲れてくると、なぜか「ん」で終わる名詞の悪魔のささやきを聞いてしまう悪癖もある。「アンパンマン」などと口走ってしまった日には、三時間くらいは立ち直れない)
 そうえば、どこか変だと思って、家のDVDで確認したところ、「峰富士子」ではなく、「峰不二子」だった。「美女は私だけで十分よ」という意味であろうか?
 にしても初代の『ルパン三世』(ルパンが緑のジャケットを着ているやつ)は最高だ。意地っ張りと無常の美学にあふれている。DVD全巻だけではなく、サウンドトラックCDまで買おうかと思っている。
 (ちなみに我が家では峰不二子は不人気である。「ルパンに意地悪するからきらーい」だそうな)



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