「ワタシ」的日常(2003年4月)


03/04/28(月):それは常識だった


 この前、『ウルトラセブン』について「サブテクスト云々」の話を書いたが、その後たまたま書店で見かけた『宝島』別冊の『セブン』特集などからすると、「「セブン」における正義の相対性」というのは、その業界では常識に属することらしい。
 学部生や大学院生(一部プロ研究者も含む)が、その専門分野では常識に属することを、不勉強であるが故に、あたかも大発見であるかのように喧伝することを、「恥ずかしい」として厳に戒めている私であるが、自分の専門分野外では同じ過ちを犯しているのである。
 まあ、それにしても、業界=プロの世界では自明なことが、視聴者や読者にとって自明であるかどうかは別物ではある。「どのように読まれたのか」ということは、テクストの中に隠された作者の真の思想を見いだすよりもはるかに難しいのだ。

 ちなみに一昨日、昨日は、『ウルトラ警備隊西へ』の前編・後編を観た。ここでも諸星ダンとペダン星人との「平和交渉」(そういったこともしていたのだ)の中で、ダン=セブンにとっての平和とペダン星人にとっての平和との本質的な違いというものが問題になっている。(要するにこの問題はセブンの「メインテクスト」を構成していたのだ。)
 それはさておき、前編・後編に別れているということは、前編の最後ではヒーローは敵に倒されるか倒されそうになるというのがお約束である。『ウルトラ警備隊西へ』でもセブンが、ペダン星人の操縦するロボット、キングジョーに圧倒されてる場面で前編が終わってしまう。(なんせ、エメリウム光線もアイスラッガーも全く歯が立たないのだ)。
 そこでの子供たちの反応がおもしろかった。響一郎は完全に画面上の世界に没入していて、セブンと共苦の関係を作り上げ、真っ青な表情で涙を流さんばかりである。終わってからもずっとうつむいていた。それに対して朝佳音は、途中からブラウン管から目を背け、「そのときオタカラマンがやってきて、セブンを助け、ロボットを投げ飛ばし、云々」といった調子で、完全に別の物語を作っていた。(注:オタカラマンとは朝佳音の空想世界の中での最強のヒーロー)
 この二つの反応というのは、耐え難い現実に受動的にさらされたときの人間の反応の典型ではなかろうか。心に刻まれる傷は響一郎の方が大きいはずだ。朝佳音の方が現実をうまくやり過ごしている。しかし、長い目で見て、どちらがより現実を克服することになっているのかというと、答えは単純ではない。おそらく、響一郎が、共苦の経験をどのようなスタイルで言葉へともたらしてゆくのか、それは朝佳音の物語とどのように関わりうるのか、そこにかかっているのだろう。


03/04/27(日):いったい私に何が起きたのだ?


 連休前の仕事が一通り終わったという安心感も手伝って、金曜の四時過ぎから、江湖さんがゼミに寄贈してくれた「食べ物」に舌鼓を打ちつつ、しょうへい君、平松さんと一緒に、ウオッカを飲んだ。「他人の欲望」について話題にしていたが、ようするにそこで私が語っていたのは、「自分の欲望」以外の何ものでもない(のだろう)。(しょうへい君はニュートラルに書いていたが・・・・)

 いい気分になったところで、空港行きのバスに乗り込んだ。i-Podで『Dantons Tod』を聴いて「やっぱビューヒナーはいいな」と盛り上がっているうちに空港到着。JALのカウンターで、カードを出そうとして、床に落としてしまって初めて、自分が酔っぱらっていることに気づいた。その後、出発ロビーのJALラウンジでさらにビールを飲んだ(いくら飲んでもただだし)。

 で、飛行機の中で研究ノートの続きでも書こうと、シグマリオンを取り出したところ、何とキーボードが壊れていて、キーがいくつか外れてしまっているではないか。ラウンジでメールをチェックしたときには確か無事だった。その間、記憶がとぎれた記憶もない。
 あわてて、外れたキーやその部品を鞄の中や座席の上で探した。なんとか全て見つかったものの微妙に揺れる機内で取り付け直すのは無理だった。他のキーは無事かどうか、おそるおそる電源を入れて試してみたが、fを押すとfghと表示されるというでたらめぶりで、恐ろしくなって即座に電源を切った。
 このシグマリオンは、一年にわたって「私のエッカーマン」(@三木正之先生)として、移動の多い私の生活の伴侶として活躍してくれていたのだが、保証期間が終わった直後にこんな悲惨な壊れ方をするなんて、とショックを受けつつ、なにげにスイス(留学中に買った)スウォッチに目をやると、7時から11時方向に向かって大きなひびが入っているではないか。
 となると、どう考えても、空港ラウンジから機内までの間のどこかで、私は鞄を持ったまま転ぶなり何かにぶつかるなりしているはずだ。そうでないとシグマリオンとスウォッチの惨状を説明できない。しかし、どうしても思い当たる節がないのだ。
 何かを忘れたという記憶さえも忘却してしまうと、その何かを想い出すのは通常不可能だ。これはトラウマ理論の初めの一歩である。
 単に酔っぱらいのブラックアウトだとも解釈できる。しかし、飲んだと言ってもウオッカの水割り3杯くらいと、缶ビール2本だけだ。いくら私が酔っぱらいやすいからといって、これくらいの量で、記憶をなくしたりはしない(はずだ)。現に、バスからラウンジまでの間は、『ダントンの死』に耳を傾け、今から夏休みにかけての研究の構想をメモしたりという、割と高度な知的作業をしていたのだ。
 うーん、わからん。いったい私に何が起きだのだ。

 ちなみに、シグマリオンの方は買い換えを覚悟していたのだが、翌朝、自宅でキーの部品をていねいに組み込んでいったところ、きれいに直ってくれた。(阪神大震災のときに、柳田國男全集の下敷きになってバラバラになったワープロを組み直したら元通り動いてくれたとき以来の感動である)。

 スウォッチの方はどうしようもない。まあ、スイスではスウォッチは半年ごとに「着替える」もので、何年も同じやつを使っているのはダサイことらしいから、連休明けにまだ「お小遣い」が残っていたら買い換えることにしよう。


03/04/25(金):もう梅雨入り?


 ここんとこ毎日雨が降っている。しかもその降り方が半端ではない。蒸し暑いし。昨夜はついに蚊が二匹どこからともなく研究室に入ってきた。ここは亜熱帯か? 以前他のところで書いたネタだが、図書館の前あたりのメーンストリートの樹木の肌に生えた一年中青々している苔が、この雨で一段と鮮やかな色になり、湿度120%のなま暖かい湿った空気がその上をまったりと移動してゆく感じが、ほとんどシュールなほどに亜熱帯なのだ。

 亜熱帯がいやだというのではないが、連休中くらいは五月晴れの空の下を散歩したいものだ。


03/04/25(金):健忘症?


 なんだかあっという間に一日が過ぎてしまった。朝から今まで何をしたのかにわかには思い出せない。

 唯一の癒しは、池田先生と「茶々」でお好み焼きをつつきつつビールを飲んでタイガースの試合を観戦したことのみ。試合には負けたが、関西弁のテンポで一時間あまり会話をしたことでかなり元気が出てきた。

 会話の中身はちょっとここでは書きづらいのだが、大学教員としての自分たちのポジションに対する反省的眼差しに満ちたものであったとのみ書いておこう。


 そのあと大学に戻って事務書類書きの続き。ゼミ生たちにバイトをやってもらえそうな性格の仕事なら、遠慮なく頼んでいたのだが、自分で責任をもって書かざるをえないものばかりだったのでそれもできなかった。

 今年度はバイト代を予め私の研究予算に組み込んであるので、「仕事のできる」ゼミ生諸君よろしく!


03/04/24(木):しょうへいネタで30年食えるかも


 といっても私のゼミ唯一の院生しょうへい君に30年間ツッコミを入れて暮らそうというのではない。

 しょうへい君は今、修論のテーマを絞るのに苦労している。というのも、同君が先週出してきたテーマ群がどれもなかなかの有望株で、選ぶに選べないのだ(ろう)。うまくやれば(あくまで、うまくやれば、だが)、このテーマ群だけで30年は研究を「楽しめる」。しょうへい君が取り上げなかったテーマを、今後「私」のゼミに入ってくる学生の中で、「まだなにをやりたいのかはっきり決まってないんですけど・・・」などとのたまった人たちに割り振って、共同研究させてみたいほどである。(まあ、それは「私」のゼミの方針の自己否定となるかもしれないが・・・)


03/04/22(火):運気が変わった(かも)


 ここのところ公私ともに、細かいところではまあまあだが、大事なところでは運気が明らかな下降線を辿っていた。しかし、どうも昨日あたりから、流れが変わったようだ。一時期はあかねやのマスターから「枕の向きを変えたらどうか」とアドバイスを受け、真剣に実践しようと思っていたほどだったのだ。

 「世の中にカミもホトケもあるもんか」というのが私の基本的世界観であるが、運不運がランダムにやってくると思っているわけではない。偶然を私がつかみ取るか、その存在にすら気づかぬままにやり過ごしてしまうかは、(レヴィ=ストロースがいう意味での)「私の構造」にかかっているからだ。

 では、「私の構造」はどのようにして出来上がるのか? これに答えるのは難しい。「私」が「私」のしての内的/外的ゲシュタルトを獲得する前の、どうしようもないほどの受動性の中にあったとき、「私」が遭遇した出来事たちによってその「構造」は作られるからだ。そこでは絶対的偶然と絶対的必然との境界はないような気がするのだ。


03/04/21(月):『セブン』を観ながら考えた


 響一郎&朝佳音と『ウルトラセブン』DVD第4巻に収録された「闇に光る目 ―アンノン星人」を観る。
 頭脳だけで身体を持たない存在=未知の(アンノン)星人という設定が響一郎にはなかなか理解困難だったようだ。朝佳音は最初から自分に関心のある箇所だけを観て楽しむというスタンスなので、そもそもそういった疑問を抱いたりしない。
 子供の頃自分がこの番組にどのような読み筋を見出していたのか今となってははっきりとは思いだせない。たぶん、単なる善(地球防衛軍+セブン)と悪(宇宙人)の戦いとして観ていたのではないか。
 しかし、今観てみると、(少なくともこの回の)テーマは「正義の相対性」である。しかも、単に「何が善で何が悪かは、基準のとり方次第」といった俗流相対主義のレベルではなく、

 「自分にとってはもちろん、他者にとっても正しいと思って為した行動が、他者にとっては絶対的悪である場合がある。」

 「しかも現代においてその正しさが科学的言説の中立性をまとっている場合、行為者が自らのドクサから抜け出ることは極めて困難である。」

 「善意の人が絶対的悪として弾劾される可能性に対して自らを開き、他者の痛みを自らのものとして引きうけるという絶対に漸近的でしかない試みを開始する条件は何処にあるのか?」

といったアクチュアルな正義論としての読み筋を提示している。

 DVDのおまけとして各巻に当時のスタッフが語る制作秘話が付けられている。(資料が手元にないので固有名詞は後日付け加えるが)、この回の話者は、シナリオ担当であった。ウルトラシリーズではシナリオは複数の人間が担当していたが、主担当の二人が自ら、善悪二元論からの逸脱を繰り返すので、この担当者もまた次第に、定型からの逸脱に対して大胆になっていった。その背景にあったのは泥沼化するベトナム戦争であり、二人の主担当者が沖縄出身であったことが、その逸脱をいっそう強く促した、とのことである。(無論その場合でも、「地球を攻撃しにやってきた宇宙人や怪獣が地球から排除される」という中心的かつ表層的筋自体は維持される、というのが前提条件ではある)。
 先に書いたように、私自身はこのような読み筋を前景化させてこの番組を観た記憶はない。ただ、「『セブン』はときどきすっきりしない終わり方をすることがある」とは感じていた。もちろん、その「すっきりしなさ」の由来についてそれ以上考えることは決してなかったが。
 同時代の子供たちがどのような読み方をしていたのかほとんど知らない。『セブン』の読み筋についての「論争」はあったが、それは、たとえば「カプセル怪獣ウインダムやミクラスをどう思うか」といったディテールについてであり、番組の背景にある世界観をめぐってでなかった。(あたりまえといえばあたりまえだ。世界観の相対性について議論する小学二年生など私は好きではない)。
 しかし、それでも私たちの世代のかなり多くの者が、学問的世界に参入するにあたって、はっきりと相対主義的なところから出発して、そこからの認識を、そしてその先にある倫理の可能性を問おうとしたし、今もしている。このことは確かだ。
 あの頃は全く意識されなかった読み筋が密やかに、私(たち)というテクスト(ないしは情報処理システム)に書きこまれているといったことはありうるのだろうか。あるいは、『セブン』だけではなく、当時の様々の子供向け番組の善悪二元論的なフェノ・テクストの隙間や周縁や背景に、こうした逸脱的な「すっきりとしない」テクストが忍ばされていて、それらの合力としてほとんど身体感覚的な相対主義の空気が醸成されるといったことはあるのだろうか?

 もしあるとすれば、それは大衆芸術、いや芸術がけっして滅びはしないことの一つの証しとなるだろう。

 にしてもそれをどうやって調べればいいのだろうか?


03/04/20(日):ねむい


 長崎にいるときは一日5-6時間くらいしか眠らないので、その反動が出るのか、家ではひたすらねむい。食事をして腹8分目くらいになるともう目を開けているのがつらくなるほどだ。その一方で、長崎での生活リズムが影響しているのか、子供たちにあわせて10時に寝ると、3時過ぎに一度目が覚めてしまう。6時くらいまでごそごそやって、それからまた8時くらいまで二度寝するというのがいつものパターンだ。

 というわけでタイガースの勝利を朝刊で反芻してから二度寝することにしよう。


03/04/19(土):陽水おそるべし、そして明菜(改訂版)


 「飾りじゃないのよ涙は」を、陽水が最近出したJAZZ版、80年代の初め頃にアルバム「9.5カラット」に収録された初期版、そして、その少し前の中森明菜版の順に聴く。(こういうときi-Podは実に便利である)。

 文句なしにJAZZ版がベストで、だいぶ離れて明菜版、そして僅差で「9.5カラット」版である。20年前よりも録音技術が上がっていることを考慮に入れても、JAZZ版の出来は出色である。(そもそも一昨年、長野かどっかであった某コンサートにゲストで呼ばれた陽水が、このJAZZ版を歌って、本来の主役たちを完全に食ってしまったところから、じゃあ他の曲もJAZZでということになったらしい)。

 私がピカソやクレーと並んで20世紀最大の芸術家と見なす陽水であるが(こういった列挙の仕方に私の芸術経験の狭さが現れている。要するに気に入ったものだけを繰り返し享受すればそれで満足、というスタンスである)、最近出す新曲はさすがに「打率」が低い。

 しかし、かつての傑作をリメイクするときの技の冴えは相変わらず「好打率」である。

 一人の人間が持ちうる基本的な問いの数というのはそれほど多くはない。(それ故に人間学という学問が成立しうるのだ。そして人間学だからこそ、陽水の問いは「私」の問いでもありうることになる)。だから、そうした基本的問いの一つ一つがどれだけ多くの変奏可能性を内に折り畳んで持っているか、が問題なのである。私たちが通常「深さ」と呼んでいるのは、実はその襞の数のことなだ。それを奥行きだと錯視しているのである。

 次々と現れる新しい折り目に従って広げられてゆくテクスト(織物)に、「私」というテクストの今を織り/折り重ねる。その瞬間の光の干渉の中に立ち現れるものを、「変奏のアウラ」とでも呼ぶことができようか。

 幾重もの変奏に対して開かれていること、これが陽水の「奥の深さ」なのだ。

 その意味で陽水がJazzを選んだのは偶然ではないだろう。

 ついでに明菜のデビュー曲、「スローモーション」を聴く。後知恵だが、のびやかでかつアンビバレントな(ポリフォニックと言うべきか)声に彼女が内包する多様な(展開)可能性が秘められていることを確認することができる。(しかし、デビュー当時の明菜のキャッチフレーズが「ちょっとエッチなミルキー娘」という全然キャッチーじゃないしろものだったところを見ると、そんな可能性になど誰も気づいていなかったのかもしれない)。

 問題なのは歌詞の中に描かれた世界だ。

これは完全にパラノイア少女の内的風景ではないか。

 気の毒に。15か16の時に、パラノイア的ディスクールを自らの起源とすることを強いられつつ、つまり、繰り返し声に出して歌うことで同時に自らの心と体にそのディスクールを刻み込みながら(さらに言えば、その刻むという行為によって、自らが内包する別様の可能性の一つ一つ消してゆきながら)彼女は出発したのだ。象徴界へ。たぶん。


03/04/18(金):そして塔は建つ


 「バベルの塔」が建つ。

 もともとは固有名詞であったこの言葉は、それが「創世記」の中に書き込まれたという事実によって、比喩へと変容する。そして、歴史の反復の中で普通名詞となるのである。

 フリードリヒ・デュレンマットの初期の戯曲、『天使がバビロンにやってくる』(1953)は、「新バビロニアの王、ネブカドネザルがどのような理由で塔の建設を決意したのか」という問いが主要な筋の一つを構成する。当初デュレンマットは『バベルの塔の建設』という戯曲を構想していたようだが、結局はその一部だけを『天使がバビロンにやってくる』として独立させた。

 その続編では、「誰も(王すらも)塔なんか建てたくないと思っているのに、塔の建設は続けられていく」という筋が展開することになっていた。

 しかし、その続編が発表されることはついになかった(草稿はある)。デュレンマットは「塔の建設」を続行することはなかったのだ。

この戯曲の企図についてデュレンマットは、

 「われわれが今日同じような企てに巻きこまれていることがわかるだけにいっそう、その[塔の建設]を示す試みは重要である」

と述べている(Dü rrenmatt [1980{Anmerkung zu Ein Engel kommt nach Babylon}:127])。

 デュレンマットの仕事を、神話レベルでとらえるならば、それは「恩寵は常に災いに転じる」という命題の変奏であると見なすことができる。

 「塔」はまさに「恩寵」が「災い」へと転じるその変針の突端としてあるのだ。




 天にまで達しようとするその建物を見た神は、それまで一つであった人類の言語を乱し、人間が互いに意志疎通できないようにした。それは人類最大の災厄の一つである。

 当時のメソポタミヤの大都市では、競うようにしてジグラットという壮麗な大塔が建てられ、そこで宗教的な祭儀が行われていた。古代イスラエル人は、塔の建設への欲望の背後に、人間の自己過信や不遜を見た。そして、大建造物によって自己確認し、他者にもそれを強いる文明のあり方は、結局は人々を結びつけ融合させるのではなく分裂させ、対立させるものだと考えたのだ。

 ネブカドネザルよ、今すぐにでも塔の建設を止めよ。汝の遠い遠い子孫がチグリス-ユーフラテス川の岸辺に建てた王朝も灰燼に帰した。もう一人のネブカドネザルの軍によって。
 誰も塔の建設など望んではいない。既に出来てしまった塔を解体せよとは言わない。この屋根のない中途半端な台形の建物を、私たちの生存の領野として生まれ変わらせよ。

 地上にある者の共生の場の建設にならば、私もまた喜んで参加しよう。


03/04/17(木):元添削バイト院生


 4/14の日記にある「<「超」整理法>に関しては間違いなく私にとってベストな整理法である。」というのは変な日本語だ。
「<「超」整理法>に関しては間違いなく私にとってベストな整理法→師である。

 お恥ずかしい限りです。こんどからちゃんと読み返してから送信ボタンを押します。


03/04/17(木):第二回ゼミ


 先週のゼミはどっちかというと顔合わせの色彩が強かったので、今日からが本格的な三年生ゼミということになる。

今年のゼミの共通テーマは、「メディア」である。一昨年もメディアについてやったが、あのときは電話というメディアに特化して、その歴史と現在について調べた。あれから二年が経ち、あれこれ考えるに、「媒介する」という行為/現象が不可避に内包する逆説(リアルに媒介しようとすれば間接性を高めねばならない)についての哲学的な考察を底のところに据え、繰り返しそこに立ち戻りながら、ケータイなり、新聞なり、ネットなりについて具体的でアクチュアルな調査と分析をする、というスタンスで今年はいくことにした。

 (もういちどメディアでやろうと思ったのは、三月に卒業した
志氣君と宮崎さんの卒論
がなかなか読み応えのあるものだったからだ。)

 方法論的には、例によって、見田宗介(「量的データと質的データ」)と佐藤郁哉(『フィールドワーク 書を持って街へ出よう』)からスタート。毎年同じものをやっているという指摘が聞こえてきそうだが、どんな学問にもスタンダードなものというのはある。私の研究や講義はいわゆる「哲史文」の「隣は何をする人ぞ」的なスタンスに対する批判的モメントを含んではいるが、それでも私なりの知のマッピングの中で、これだけは読んでおいた方がいいとみなしうる文献というのはある。そしてそういう文献は何回読んでも新しいのだ。だから、同じことを繰り返しているようで、結構新鮮な驚きを感じつつページをめくっているのだ。

 お腹が多少へっこんだといわれて単純にうれしい。今日もファミマに行くのは(何度変換しても「生野は」となってしまうのは何でだ)よそう。


03/04/17(木):切り替えって難しいもんだ


 新学期が始まったというのに、どうも頭の切り替えがうまくいかない。仕事のリズムがつかめないといった方が正確かもしれない。

 私の場合、どんなときに一番いい<仕事>ができるかというと、それはひたすら単調なリズムで生活しているときである。外から見て最もモノトーンに見えるとき、私の頭と身体は至福の「アカデミック・ハイ」を経験している(可能性がある)。

 無論、「お仕事」のない状態で単調な生活が送れれば、最もいい<仕事>ができるだろう。しかし、「お仕事」に追われているとしてもリズムさえ一定であれば、割といい<仕事>はできる。

 一番困るのは「お仕事」が不規則にかつ予定外に入ってくるときだ。「お仕事」の絶対量は小さくても、リズムが悪いと、<仕事>の質と量は低下する。卒論シーズンから春休みにかけてというのはリズムが作れない時期の典型だ。

 そういう意味で、今週はリズムを作るための基礎作業に専念した。まだ不十分だが、だいぶ今年度前期のリズムが見えてきた。

 このホームページをリニューアルしたのも、<仕事>しているときは、webデザインに意識を向けすぎて、本来のリズムを崩したくないからである。

 ついでに「有言実行」宣言もしておこう。

 今年は後期開始までに少なくとも二本、できれば三本の学術論文を書くぞ。


03/04/16(水):結局は同じこと


 ファミマには寄らなかったが、遊ing(だったけ)で、ルパン三世Part1のCDとそのJazz Version、ついでに響一郎と朝佳音のためにウルトラ兄弟のテーマソング全集を借り、キャンディーズのシングルベスト4を買ってしまった。余分なカロリーはとらなかったが、財布は軽くなった。

 大学院の講義の教室に行ってみると、荒木君と高山君の二人だけが待っていた。私の勤務先の奇習によると、たとえ内容が全く違っていても、同じ題目の講義を二回受講することはできないので、正規の受講生がいないということになる。今年は文化環境系の修士一年が一人も入ってこなかったのである程度は予想できたことではある。

 (私が学んだ大学ではそれは認められた。だいたい同じ内容で二年続けて講義するような知的怠惰をむさぼっている教官などいなかったし、一人の教官が自分のテーマを何年もかけて変奏させつつ展開させていく現場に立ち合うのは、研究とは何かを知る上で最高にためになるものであった。私の勤務先の措置は、学生たちに「和洋中折衷の幕の内弁当」を何がなんでも食べさせるためのものであろうが、愚策以外の何ものでもない。)

 結果として前期はこれまで二年半の過密な時間割からは信じられないほど担当授業が少ないことになったので、前々からやろうかどうか迷っていた、歴史記述と物語的知と倫理の問題についての読書会を、荒木、高山両君と一緒に立ち上げることにした。ついでに我がままを言って、スイスの大学でよく行われていた、「講義&コロキウム」形式で進めることにさせてもらった。まもなく、卒業生の福田美智子さんも長崎に戻ってきて、会に参加してくれるそうだ。参加してくれる人たち全員にとって実りのある会にしたいものだ。 83 03/04/14(月):あこがれ ああ、まめで整理整頓が得意な人になりたい。
 一昨年、昨年度のゼミの配付資料をきちちんとファイリングしないままに、研究室の隅に積んでいたのだが、今年度のゼミがまだ本格始動していない今この瞬間に整理し解かないと、ゼミの記録が永久に失われてしまうのではないかという思いに駆られて、重い腰を上げた。腰を上げたと言っても、私の薄弱な記憶では、いつどの資料を配ったのか正確に思い出せそうにもなかったので、糸山さんと光野さんにバイトでやってもらっただけである。自分だけでやっていたら、まだ終わっていなかったのではなかろうか。お二人に感謝!

 研究室もひどい状態だ。生野-戸田化に向けてまっしぐらである。本当は、マックと机と最小限の本棚と多少上等なオーディオだけから成るポストモダンな研究室にあこがれるのだが、現状はその対極にあると言わざるをえない。半日かかって整理したのだが、たぶん誰も信じてくれないだろう。かといって整理ばっかりしているわけにもいかない。授業や論文の仕込みもしなくてはならない。とりあえず毎日1時間ずつ時間を割いてお片づけをするとしよう。

 官舎もまたひどい状態だ。ただ、官舎で過ごす時間の大半は寝ていることもあって、一見すると散らかっているのだが、二三時間も集中して整理すると、その成果が目に見えてくる。研究室の場合にはやってもやってもよけいカオスが増大している感じがする。

 それでもかろうじて授業とか「お仕事」で大失態を演ずに済んでいるのは(ただの失態なら何度かある)、研究や授業関係の本や文献だけは私の頭の中の「知の布置」に従って配列しているからだし、「お仕事」関係の書類はなるべく、<「超」整理法>でファイリングするようにしているからだ。(それすらずぼらになって破綻しつつあるのでテコ入れが必要だが・・・)。あと、文書はできる限りパソコンで作るようにしているのが大きい。Fast FindとSherlock 2があれば、マックのハードディスク上にある限り確実に見つけだせるのだから。野口悠紀夫の経済学者としての仕事を評価する力は私にはないが、<「超」整理法>に関しては間違いなく私にとってベストな整理法である。

 ああ、一度でいいから、ポストモダンな研究室で仕事をしてみたい。できればきりりと有能な秘書付きで・・・


03/04/11(金):いよいよゼミ開始


 いよいよゼミも始まった。毎月最初の週のゼミは、通常の三年生用のゼミの後に、「合同ゼミ」と称して、院生まで全員がそろって研究発表会を行うのが慣例である。ただし今回は単なる顔合わせである。

 まずはゼミの基本的スタンスやスケジュールについて私がうだうだ説明した後、自己紹介をした。なんだかんだ言っても、四年生や院生の方が「ちゃんと」自分について説明できている。まあ、あたりまえと言えばあたり前なのだが、一年間で多少は成長したというところだろうか。

 三年生諸君はあまり緊張しないで、思いついたことをすぐに口に出してみることを心がけて欲しい。「思い」は(音声や文字として)「物質化」することによって初めて、「思考」としての形を得るのだ。間主観的には当然そうだし、内主観的に(=自分にとって)だってかなりの部分そうだ。

 普通なら一回目のゼミは、パソコンの使用規定とか、本の貸出し方法とかを説明しておわるとこなのだろうが、前の晩に思いついた課題をいきなりやってもらった。

 日常生活の中で感じた「こだわり」や「ひっかかり」から、研究というものが立ちあがり、レポートないし論文ができあがるまでを、シュミレートするという課題である。

 確かに思いつきではあったのだが、今月に入ってからずっと、「研究する」という行為の基本的イメージを短期間で直感的に理解してもらうにはどういうやり方があるだろうか、と考えていたのである。

 最初の「ひっかかり」を手がかりにして全員を四つのグループに分け、それぞれの「研究班」ごとに、移動体メディアに関する、研究プロジェクトを構想してもらった。

 私の勘によれば、こうしたシュミレーション=ゲーム=遊びを楽しめる学生は伸びる。子供のときにたっぷり遊んだ人間の方が、大人になってからいい仕事をするのと同じことだ。

 さらに、四年生と院生には、同じようにして、自分の実際のテーマについて研究計画を立てるという課題を出した。Aをやるときに、それをAとしてのみやるのではなく、Bに変換しうる可能性をシュミレートしながらやる力こそが「力としての知」なのだ。

 といった感じで、結局七時近くまでゼミをやってしまった。まあ、ゼミというのはエンドレスなもんだと三年生たちも覚悟してくれただろうから、それはそれでよかった。

 そのあと、大学近くの居酒屋「旬づくし」で、飲み会。途中から就職活動でゼミに来られなかった青木さんも合流。わいわいとしゃべりながら飲んで、十二時前に解散。

 にしてもこの「旬づくし」、食べ物は文句なしにおいしいのだが、注文してから出てくるまでに時間がかかりすぎる。私がいらちなのだろうか。長崎の飲食店は、味は全体的にいい方だが(しかしその一方で、「浦上←→住吉D級グルメ(あるいは「恨ミシュラン」@西原理恵子、あるいは「裏ンキング」)」を書き始めたら、最低でも10店を、血祭りにあげなくてはならないだろう)、出てくるタイミングが少なくともワンテンポ遅い。関西人としてはちとつらいところである。


03/04/09(水):引っ越しは苦手


 「葉柳ゼミ・第二研究室」ほぼ移転完了。まだ、いくつか不具合はあるが、とりあえず新居で営業開始。


03/04/04(金):長崎猛虎ネット(試行版)


 タイガース3―スワローズ2
伊良部ってけっこういいやつかも。

 にしても正平君の変貌ぶりには驚かされる。マジに別人かと思った。野生味が出てきたし、やっぱり太ったぞ。一体どういう因果関係があるんだ?!

 それとはあまり関係ないが私自身は半年以内に64キロまで減量することを決意した。研究室帰りにファミマに寄るのを厳禁すればなんとかなるのだが・・・


03/04/04(金):i-Pod、電池切れたら・・・・


 空港行きの「乗り合いリムジンバス」の中で、ピンクレディのシングルコレクションを聴こうと思ってi-Podのスイッチを入れようとしたが、うんともすんとも言わない。どうやらバッテリーが完全に空になっているようだ。たぶん最後に聴きいたときに電源スイッチにロックをかけるのを忘れていて、その後何かの拍子にスイッチが入ってしまったのであろう。この場合、ハードディスクに入っている約700曲+4戯曲+1講演が全て再生されてしまう可能性がある。とはいえフル充電状態でも実質的には8時間くらいしか連続再生できないようなので、ボブ・マ―リーから始まって(なぜかそれがフォルダの先頭にある)、BOROくらいで力尽きているはずだ。「やさしく愛して」あたりだろうか?

 市販の電池は使えないので、こうなってしまうとお手上げである。次に充電するまで空しく持ち歩かねばならない。いや、「空しく」というのは字面の感じが違う。「空」なんてとんでもない、重いのである。ハードディスク型のMP-3プレーヤーとしてはスマートな部類に属するi-Podであるが、使えないのにポケットに入れておくと重さが75%増しになった感じがする。マックユーザーの自尊心をくすぐるこのメディア装置も(なんせウインドウズユーザーからの要望(or羨望)が高まってウインドウズ版が発売されたほとんど唯一のアップル製品であり、発売された瞬間にウインドウズ対応のMP-3プレーヤーの売上トップに躍り出たのだから)、使えなければどうしようもない。使っているふりをして見せびらかすことくらいしかできない・・・・

教訓: i-Pod、電池切れたら重い箱


03/04/03(木):こんなんはどないでしょ


 4月3日
試合結果
C2−7T
井川完投!浜ちゃん弾!アリ砲弾!トラ完勝や

こんな感じでもだめかね?


03/04/03(木):ゼミ再発進


 ゼミを希望している編入学生に面談をする。講義を一切聴かないままに、シラバスだけを見て第一志望と第二志望のゼミを決め、そのゼミ教官が単独で卒論指導・審査をするわけだから、学生にとっても教官にとってもゼミの選択というのは極めてリスキーである。

 そういうわけでちょっとドキドキしながら面談したのだが、私のゼミを第一希望にしている濱上さんはとてもはきはきとした学生で、正直ほっとした。シラバスだけでなく、このホームページまで見た上で、納得してこのゼミを希望してくれているのなら後で「こんなはずじゃなかった」ということにはなるまい。ゼミが90分で終わることはまずないから、木曜にバイトを入れないようにという「お願い」もわかってくれたし。

 鈴木晶先生もネット日記に書いていたが、少なくとも規定の倍くらいはゼミをしないと、いい卒論を書けるようにはならないのだ。うちのカリキュラムだと特にそうだ。

「木曜日はエンドレス」

これがハヤナギゼミなのである。

 というわけで来週から「葉柳ゼミ第一研究室」も新メンバー4人を加えて再スタートである。

 (「5月から半年内地研究に行くかもしれないから」という私の言葉を受けて、他のゼミに第一希望を変えてしまった学生たちには申し訳ないことをした。そうするより他なかったとはいえ、あまり後味はよくない。指導の一貫性が失われるかもというリスクを回避した結果がかれらにとってそれほど悪いものではなかったということを祈るのみである。)


03/04/02(水):やはり別の「私」として登場願おう


 タイガースの応援ページとこの「ワタシ的」日記の兼用というのも考えたのだが、やはり、「敵失で勝っても勝ちは勝ち」という卑小なファンとしての<私>には、別ページで発言してもらった方がいいだろう。

(例)カープ5-4タイガース ああ、サヨナラ負け。今から帰ってやけ酒だ!

といった「日記」を読みたい人は、傷を舐め合い馴れ合っていたいファンだけだろうから。贔屓のチームについての愚痴をこぼしながら飲む酒はしみじみ効くんだ、これが。


03/04/02(水):もっと高く!


 もっと深く,明日の編入学生のためのガイダンスで教務委員としての仕事が終わる。I先生への引継も終わった。Mさんの代打として引き受けた仕事だったが、1月から今日までの三ヶ月がきつかった。やると決めた以上なるべくいい仕事しようと心がけていたのだが、もともとこうしたゼネラリスト的仕事に適性がないので、あれこれミスもしてしまった。とはいえ、この仕事をやったおかげで、学生たちがどんなカリキュラムで仕事をしているのかよくわかったのは収穫だった。

 学生たちはよく耐えていると思う。慢強いのではなく、他の大学や他の学部のカリキュラムというのを知らないから、相対的不満が生じにくいだけだ。(不満とは通常相対的なものである)。自分のやりたいことをどんどんやって、その高みあるいは深みの極点において、プロをも凌ぐ力をつけることから構造的に遠ざけられているのだ。ゼネラリストは必要だが、それはスペシャリストが自らの殻を突き破っていくことによって誕生するものであって、幕の内弁当を食べ続けたら、和洋中の全ての業界で通用する舌を持つようになると考える人はだれもいないだろう。どう考えたってその反対だ。まず何者かにならねばならないのだ(@Max Frisch)

 周りの「環境」がどのようなものへと頽落してゆこうと、私のゼミでは、一点突破主義(豪華主義?)の可能性を探り続けることをここに明記しておく。そうすれば卒論でプロ研究者と勝負できたりするのだ。全てに65点取るよりよっぽどやりがいがあると思う。
ゼミ生がゼロになってもこの方針を変えるつもりはない。


03/04/02(水):出来事と証言の間


 とある休日の昼下がり、妻が庭仕事をしていて、天敵ヨトウムシ(スズメガの幼虫)を発見し、大声で響一郎に助けを求めた。
 響一郎はなにげに、こぶしほどの大きさの石を手に取り、やっつけた。
 その後で彼は、「ありがとう、ありがとう、いのちをありがとう」とつぶやいた、と、妻は保育園の連絡帳に書いていた。

 しかし、響一郎の証言によると、やっつけるまえに、「いのちをちょうだい」と言ったそうだ。(こっちだとほとんど時代劇の「お命頂戴いたす」のノリである)。

 そのとき私も庭の片隅にいたのだが、妻が叫び声を上げて、響一郎が虫をやっつけた、ということ以上のことを知覚しなかった。

 真相は藪の中だ。

 同じ場にいるということは経験を共有するということを必ずしも意味しないのだろう。ましてや時を隔てた証言をや。

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